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「402号室です」
看護師さんの言葉に促されるように入院病棟に入ったわたしは、軽くノックをして病室の扉をスライドさせた。
2人部屋の奥のベッドの脇に座るあっちゃんの背中が見える。横にいるのはグッドライフのスタッフの方か。
「付き添い、ありがとうございました」
「いえ、それではこれでいったん失礼させていただきます。ご連絡いただければお母様のお迎えに参りますので」
スタッフさんが部屋を出るのを見送り、改めてベッドに横たわるマサさんの顔を見る。
「穏やかな表情だね。苦しまなかったのかな」
マサさんの顔を見つめ続けているあっちゃんに静かに話しかけた。
「そうね、ついさっきまで目を開けてキョロキョロとしてたんだけど」
「苦しまなかったんだったら何よりだよ」
「まだ手は暖かい・・・・もう冷たくなってるわ」
本当にマサさんは眠っているようだった。4月の面会のときと比べても、よほど穏やかな表情だった。
でも声を掛けても、身体に触れても、少し口を開けたままのその顔が反応することは、ない。
マサさんの周辺だけ、音が消え、時間が止まったような、そんな空間だった。
穏やかな表情の理由が、長い期間に及んだベッドの上だけの生活からようやく解放されたということなら、それはそれで悪い話じゃないのか。
往診に出ていたという院長が病室に入ってきた。
マサさんの傍らに立ち、看護師からペンライトを受け取ると瞳孔の動きを確認し、そして口を開いた。
「15時38分です」
事実として息を引き取るその瞬間には間に合わなかったが、死亡確定時刻には立ち会うことができた。それで十分だ。わたしはそう思った。
「お歳でしたのでね、ペースメーカーの動きにも心臓そのものが反応しなくなって、静かに心臓が停止した、そういうことです。直接の死因としては心不全になります」
「ありがとうございました」
あっちゃんとわたしは院長に対して深く頭を下げた。
「こういうのは順番だししょうがないね。年齢も年齢だし」
「マサさん、いくつだったかしら。はちじゅう・・・」
「91歳だよ」
「あら、もうそんなだったかしら」
何か取り乱すようなこともなく、あっちゃんはいつものあっちゃんだった。
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