『――優しさは呪いだ。』
下村敦史「ヴィクトリアン・ホテル」を読んでいる。
ホテルを舞台にした、まさに“グランドホテル形式”の作品で、最初に書いてしまうと、その多種多様な登場人物たちの関係性が、最後に収束していく、あるいはホテルとともに終焉に向かっていく様は、それはもう素晴らしく気持ちのいい読後感をもたらしてくれる一冊だった。
由来である映画「グランドホテル」の話も作中に登場します(^^;
・・・のだけど。
主要な登場人物それぞれの視点で語られていく物語を読み進めていく中で、「ん?」という疑問にもならないような小さな引っ掛かりがあった。
それを気にせずスルーしてたら!まさかの!!ああっ!これは!
やーらーれーたー!!!(@_@)
というわけで現在二度読みの真っ最中です。復習と確認作業が必要なのです。なので冒頭に“~を読んでいる”と書いたのです(^^;
作中にはたびたび出てくるのだが、本作は「呪い」の物語と言えるかもしれない。誰もがどんな立場でもそれぞれ「呪い」にかけられて。
おそらくは作者である下村さんも。
じゃあどうすればいいんだ。
おそらく下村さんが今作で最も言いたかったのはその部分なんじゃないだろうか。登場人物として「作家」を出したのはそのためだったんじゃないか、そんなことを思った。
同調とか同意とか共感とか、呪いにかかってしまった人たちが、どのような形であれ救われればいいなと心底思う。「呪いからの赦し」の物語に。
ふざけんなよ、名前のない悪意さんたちめ(怒)。
『「生まれた時代も、生い立ちも、人間関係も違ったら、当然、価値観も変わってきます。積み重ねてきた人生は色々です。犯罪行為や迷惑行為をしているのでなければ、それぞれの価値観を尊重して、理解を示すことが多様性と共存――そして寛容ではないでしょうか」』
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