[076]
前日の雨がまだ残る3日目の朝、ホテルから前の日と同じ道を歩いていく。
もうすぐマンションが見えるというところでわたしのスマホが鳴った。あっちゃんだ。
「もしもし、おはよう」
『あの、わたし、どこかに行くって言ったかしら』
「うん、明日引っ越しだよ」
『もう少しここにいたいのよ』
「え、でももう全部決まってるし準備してるとこでしょ」
『でもね、まだここに』
「とにかくあと2~3分で着くから、ちょっと待っててよ」
言葉を遮るように電話を切った。横を歩いていたみぃさんが少し顔をしかめた。
「今日はこんな感じなんだね」
「そう、日によって感じが違うし、なんとなく電話出るのも怖くてさ」
ひどく重たくなった足取りでマンションの階段を昇る。
「お母さん、おはようございます」
「早いわねえ。ごはんは食べたの」
「食べてきました。お母さんは?」
わたしから電話の件を話題にすることはしなかった。が、あっちゃんから言ってくることもなかった。
おそらくだが、みぃさんがいることによってわがままを言えなくなったということじゃないかと踏んでいる。本人がわがままだと自覚しているかどうかは別だが。
そうしてしばらく時間が経過すればきっと忘れてしまうはずだと期待していた。そして実際にそのとおりになった。
ほどなく雨が上がった。わたしは片付けの手を止め、みぃさんに声をかけた。
「郵便局に行って転居届出してくるよ」
こうした手続きは平日である今日にしかできない。あっちゃんから距離を置く、というのも本音ではある。
最寄り駅の少し先にある郵便局の窓口で事前に用意しておいた転居届を提出する。転送元の世帯全員の本人確認書類が必要になるので、マサさんとあっちゃんのマイナンバーカードも提示した。
転送先は老人ホームではなく、わたしの自宅に設定した。実際に何が送られてくるかもわからないし、必要に応じて対処しなければならないこともあるだろうから。転送期間の1年間の間にひととおりの対応は終わるはずだ。
「転送不可と書かれた郵便物は差出人に戻しますので」
「はい、承知しました」
「明日からの転送でよろしいですね」
「はい、よろしくお願いします」
郵便局を出たところで、SS社のイワキさんから電話が入る。明日の荷物の準備の手伝いに来てくれるという。
「ありがとうございます。大枠では準備はできていますが、確認の意味でももし来ていただけるのでしたらありがたいです。わたしは外出中ですが、妻がおりますのでよろしくお願いします」
こうしたひとつひとつの気遣いも仕事ならば当然なのかもしれない。けれどそのアクションには具体的な費用が発生しているわけではない。本当にいい業者に出会った。
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