[075]
「では引き続きよろしくお願いいたします」
イノマタさんとウチコシさんを送り出し、わたしたちはまた荷物の準備に戻った。
「気になるからちょっと銀行行ってくるよ」
荷物の準備はみぃさんに任せ、わたしは昨日預かったばかりのあっちゃんの銀行口座の記帳に行くことにした。預かった通帳は4行ぶん。マサさん同様数が多い。文句を言うつもりはないのだが、改めてわたし自身は自らが老いる前に自分の周辺はシンプルになるよう整理をしたいと思った。
それはともかく、地方銀行の通帳記入はこの地でやっておいたほうが後々楽だ。
が、マンションを出ると小雨が降ってきた。駅前まで行ってると本降りになるかもしれない。とりあえず近場にATMのあるN銀行だけは記帳しておこう。
『この通帳は使えません 窓口までお越しください』
またこういうことが起こるのか。なかなかスムーズには事が運ばないな。
店舗に行くのは明日の平日ということなるので、しかたなくそのままマンションに戻った。まったくの無駄足だった。
あっちゃんの荷物の準備はひととおりダンボールにまとまった。
中身は明日最終確認するということでいいだろう。
あっちゃんがふと話し始めた。
「マサさんは今グッドライフっていうところにいるんだっけ?」
先月電話で話したのと同じ質問だ。
「いや、違うよ。グッドライフは明後日引っ越すところ。マサさんは今もさくら老健だよ」
「あら、さくら病院の斜め向かいのとこに移ったわよね。あそこがグッドライフ?」
「何?斜め向かいって。去年の夏からマサさんずっと同じところにいるよ」
「もうそんなになるかしら。でもおかしいわね、何度か行ったと思うんだけど」
話がまるで噛み合わない。
さくら老健の斜め向かいは確か1階に店舗の入ったごく普通のオフィスビルだったはず。強いて言えばバス停があるぐらいか。
断片的な記憶に何かを混ぜて再構築してる、そんな感じだ。この話はこれ以上膨らまないし話題を変えよう。
「荷物もだいたいできたから、そろそろ晩御飯行こうか」
「今日はホテルのレストランに行く?」
みぃさんがいるからだろうか、あっちゃんの見栄っ張りな部分が顔を出す。
「いいよ、ちゃんとした服着てないし、雨も降ってきたから」
「でもせっかくだし」
結局前日と同じマンションの隣のお好み焼き屋に行くことになった。「鉄板焼きもあるみたいだよ」と言って。
食事中、なんとなくあっちゃんを見ていた。普通に肉に手が伸びてる。食欲があるというか身体が欲しているというのか。
やはりちゃんとした食事が提供されるというのは大切なことだ。
食生活を含めた自分の弱いところを自分で認めてくれればいいのだろうけれど、見栄っ張りな性格も含めて難しいな。それができないから人間ってことか。本当に難しい。
帰り際、会計をしているわたしに一万円札が押し付けられた。老いた親におごられるというのもなんだか落ち着きが悪いが、へそを曲げないように一応受け取っておいた。
「じゃあ、明日の朝また来るから。薬しっかり飲んでね。傘借りてくよ」
「お母さん、また明日」
去年わたし自身が買ったビニール傘を持ってマンションを出た。わずかな間に外はすっかり土砂降りになっていた。
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