年の瀬である。
サラリーマンだから――というかサラリーマンに限ったことではないだろうけど――この時期は酒の席が多い。
酒そのものだけでなく、酒の場ももちろん嫌いじゃない。楽しく喜んで飲んでます。
ところが、「飲み会」の席、好きかと問われると、少し考えちゃう。
「得意じゃないかもしれない」という言い方のほうが近いかな。
イメージとしては6人以上の場。4人掛けテーブルに収まらない人数。
4人までなら1つの話題を共有できる。けど、遠くの席では何を話してるんだろう。気になるけど、間にいる人を飛び越えてまで会話には参加できないの。ちょっと別の宴会になってるような気分――結局解散までひと言も会話しない人とかいたりしちゃうから。それが残念でもあり。
かといってみんなのど真ん中にいて、その場を取り仕切るかのように全方位型で会話なんてできないもん。中華の円卓だって結局隣の人とだけ話してたりするし。
そもそも、はじっこの席に好んで座ってたりするもん。
わいわいするのはもちろん好きなんだけど、どうもそんなことを思ったりするんだよね・・・・酔いが醒めた翌日に。
あれ、この話、前にも書いたかも(^^;
* * *
上の文章は、穂村弘のエッセイ集「蚊がいる」所収の『三つの試練』にインスパイヤされて書きました。『三つの試練』では飲み会とカラオケとゴルフが苦手、と書かれています。同行者との距離感なんでしょうね。
ほむほむのエッセイを読んでいると、ちょっと気恥ずかしいような、それでいて引きずり込まれるような、そんな感覚を味わう。
だって本の中に、文章の中に、僕がいるから。
たとえば、知らないところを散歩していて急に既知の場所に出てしまったときの、目に映る景色の変化、とか。
たとえば、紳士的に素敵に行動できるのはプレッシャーのかからない場面であって、少しでも状況が変わると自分のことしか考えられなくなってしまう、とか。とか。
もしかしてこの人は僕自身じゃないのか、そんな錯覚を覚えることすらある――いやもちろん、あんなに見事な表現力は僕には残念ながら、ない。わかってるってば。
1冊の本を貪るように読みふける。どんどん読み進む。
そうすると、急に「とっときたい」という欲求が生まれる。
あたりまえだけど読み続ければ残りページ数はどんどん少なくなる。
もっと読みたい。でも文章が終わってしまうのはすごく嫌だ。
穂村弘「蚊がいる」、まだ読みきっていない。だけどいったん本棚に戻すことにする。
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