2009年7月29日水曜日

アスリート不在。

水泳の世界選手権。
個人的には、まったく盛り上がってない。

歴史的な惨敗に終わったシンクロは、ある意味原因がはっきりしている。
「技術が流出」したスペインや中国に大きく差をつけられたのは、これはもう広い意味での強化の失敗
想像の範疇。

しかし、競泳、である。

そう、例の高速水着の問題。

道具を使う競技において、その性能差は当然のように存在しているけれど、その道具を「どう使いこなすのか」という技術が確実に存在し、それもまた競技の側面のひとつ。

NPBとWBCのボールの違いしかり、ゴルフクラブしかり、スキー板しかり。

ところが今回の水着の問題はちょっと違う。
そこには「道具を使いこなす技術」は存在しておらず、「着ればいい」だけ。

こんなの競技じゃない。

北京五輪のときには、事実上レーザーレーサーだけだったから、大きな問題はなかったように思う。

五輪翌年の世界大会に無名選手がいきなり桧舞台に上がるのはそう珍しいことではないが、同じ大会で、ある水着で惨敗した選手が、翌日別の水着で好成績を出す。
それは決してアスリートとしての優劣を競う大会ではないと思う。

もちろん、各メーカーが技術開発を行うのは当然。ただ本来はアスリートの能力を引き出すためにあるべき技術開発であるにもかかわらず、今回の水着開発競争には、アスリートの姿は見えない。

五輪でも花形競技である陸上と水泳。
いずれも道具を多用せず、アスリートとしての能力を競う。心技体すべての面において。

僕が見たいのは、そんなアスリートの姿。

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