直木賞受賞作、三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」を読了。
ついに三浦しをんに手を出しました。今ごろですか?って言わないで~(^^;
映画も、続編にあたるドラマも見てないので、特に先入観もなく・・・というわけではないな。主役が瑛太、相方が松田龍平だって知ってるし、特に松田龍平のほうがすごく文章とシンクロしてしまって、思い浮かべながら読んでた。
『誰かに助けを求めることができたら。
近しい人じゃなく、気軽に相談したり頼んだりしたりできる遠い存在のほうが、救いになることがあるかもしれないと――』
そんな便利屋の立ち位置がすごく心地良い。
そしてその便利屋のふたり、友だちでもない知り合いでもない、ただの同僚でもない微妙な距離感が好ましい。
読み終えて、何かが沁み入るような感じがあったんだけど、うまくそれを言葉に置き換えることができなかった。
が、巻末の「解説」を読んで “ストン” と落ちたように思った。ちょっと言葉を借りたい。
『一度切れた冷たい部分は二度ともとには戻らない。でもこすっていれば、じきにぬくもってくる。すべてが元通りとはいかなくても、修復することはできる。つまり「幸福は再生する」・・・』、と。
そうか、そういうことなんだ。うん、やっぱり沁みるよ・・・人の心の何かが。
三浦しをんの文章、なんか相性良かったのかも。今は続けて「まほろ駅前番外地」を読んでます。
「番外地」のほう、特に「岡夫人は観察する」が絶妙。
『金のためだけではなく、たぶん惰性や愛着や人間関係ややりがいによって、ひとは働くのだ』
『雪の結晶を連想した。微塵に砕かれるのを待つかのように、諦めごと凍りついた目だ・・(中略)・・男の内部では多くの線と角が、繊細な模様を織りなしているにちがいない』
などなど。いやー、岡夫人の観察眼ってば素敵(笑)。そしてその視線の先にいる多田を思う。それは自分を思うことに近いかもしれない。
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