足の故障もあったりでなかなか機会がなく、およそ1年ぶりに東海道に戻ってきました。
寒の戻りというのか、朝の豊橋駅前はとにかく寒いです。
デイパックに入れてあったフーディを着てその上からウィンドブレーカーを羽織ることにしました。ニットキャップに手袋も。完全防備です。
豊橋市街(吉田宿)を離れるところで豊川を渡ります。その橋の名前がズバリ「豊橋」。
「おおっ」って思ったりもしたのですが、この橋の名前が街の名前になったのかどうかは知りません(相変わらず何も調べてない)。が、もしそうならば豊川ありきの豊橋ということか、なんてことも思います。そうか元の名前は吉田だ。
そういえば愛知県にはこの「豊」のつく地名多いですよね。文字どおり豊かな土地だったんでしょうね。となれば領土争いも当然起こる、という図式でしょう。たぶん。知らんけど。
もしかして「豊臣」もその流れ?
それにしてもやはり車文化なんだなぁと実感します。
歩いている人は誰ひとりいないんですが(笑)、旧道だろうとなんだろうと車はびゅんびゅんやって来ます。つまりあまり歩道が整備されておらず、路側帯すらない場所もあって・・・正直おっかない。
進行方向からやってきた車のドライバーさんが赤いウィンドブレーカーの僕の姿を見かけて慌ててハンドル切るシーンを何度目撃したことか(前の車のせいで見にくいんだと思います)。積極的に歩行者である僕が避けることにしました。
豊川放水路の橋を渡ると(この橋も狭かった)、右手に大きな鳥居が見えます。「もしやかの豊川稲荷?」と思ってスマホで調べてみると、さにあらず、五社稲荷神社の大鳥居でした。
豊川稲荷まで寄り道を、とも考えましたが、行って帰って1時間はかかりそうだったので今回はパス。
しばらく国道1号線と並行する旧道を淡々と進んでいきます。プラントのような大きい工場や関連施設が多いエリアです。
名鉄の踏切も2度渡りました。ちょうど国府(こう)駅のあたりです。名前どおり三河の国府(こくふ)のあったところだそうで。確かに住宅も店舗も多いエリアでした。
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御油宿入口付近 |
その隣町にあたるのが、御油宿です。が、こちらは静かな住宅地。宿場らしいものもあまり残されていないな、と思ってるうちに出てしまうぐらいコンパクトな宿場でした。
が、その先の「御油ノ松並木」は素晴らしく立派で。東海道ではこれまで松並木はいくつか歩いてきましたけど、トップレベルの威容じゃないかと思います。地元の人々が植樹などの保全活動もされていて、さすがの天然記念物って感じ。
と思ってたらもう次の赤坂宿。御油と赤坂の間は東海道の宿場の間隔としては最短なんだとか。
たぶん20分ぐらいで着いたもんな。京都までずっとそんな感じでお願いしたい(違)。
赤坂宿は本陣跡をはじめ、風情ある建物がいくつか遺されています。コンパクトながらもいい雰囲気ですねぇ。
赤坂宿を後に先に進んでいくと、ふと足がものすごく重いことに気づきます。「あれ?もう疲れが出てきた?久しぶりだしな」と思っていると、実は上り坂になってました(笑)。
きつい勾配ではないですけど、じわじわ淡々と上ります。地味にきついしそりゃ足も出ないって(大笑)。
その坂を上り切ったあたりに本宿という地域があります。東海道の宿場ではないですが、かつては旅籠なんかもあったらしい。というか、地域の雰囲気はよっぽど宿場町ですね(^^;
国道から分かれて本宿に入る旧道の入口で立て看板を読んでると、後方から元気のいい3人組の若者――おそらく春休みの中学3年ぐらいかなと想像する――が楽し気に会話をしながら僕を追い越していった。そもそも歩行者そのものがとっても少ないので、人がいるだけで少し驚いたんだけど、ましてや声を聞くとね、すごく印象に残った。そして彼らは国道、僕は旧道へ。
で本宿を出て再び国道に合流すると、その彼らがちょうど国道をはさんで反対側を相変わらず楽しくしゃべりながら歩いてた。なぜか歩くスピードがほとんど同じで、しばらく並行して進んでいくことになるんだけど、「楽しそうだな」「どういう仲間かな」だけでなく、仲間と歩く彼らがとてもうらやましく思えてしかたなかった。
どこまで行くのかな。まだまだ遠い岡崎市街ってこともないだろうけど。
本宿の風情ある街並みを楽しんでいると、太陽が顔をのぞかせてくれました。ようやくフーディーとニットキャップを脱ぐことができました。でも風自体は冷たくてね、手袋は念のためにしたままで。歳のせいか手先、冷えるんだよね(失笑)。
そうこうしてる(?)うちに藤川宿。「ここより藤川宿」にあたる東棒鼻跡をはじめ曲尺手(桝形)といった往時をしのばせるものが現在の住宅街にうまく融合されているというか、そんな感じでした。簡単に言うと好きな感じの町です(笑)。
ところでこの藤川宿であることに気づきます。住宅の玄関にいわゆる正月飾りが残されているのです。最初は「もしかして空き家で忘れられてるのかな」と思ったりもしたんですが、1軒や2軒じゃありませんでした。
僕の感覚だと松が明けると飾りは外すはずで、3月末に玄関に飾ってあるのは見たことがありません。さすがに松飾りはなかったですけどね。
その後岡崎でも、思い返せば本宿でも同じような光景がありましたが、何か地域のいわれのようなものがあるのでしょうか。調べろ>俺
それはそれとして、藤川を過ぎてちょっと疲れが出てきた気がします(今度こそ本当に)。
なんとなく体が右に傾きながら歩いているような感触があって(実際そうかどうかもわからない)、足が疲れたというよりも体幹が疲れた、そんな感じ。やっぱり久しぶりの街道歩きなんだなぁ。
とか言いつつもぜんぜん歩けちゃうんでどんどん先には進んでいくのですが(笑)。
国道1号を縫うように北西へ。東名高速への入路をトンネルでくぐるといよいよ岡崎宿に入ってきます。
岡崎宿はとにかく「岡崎城下二十七曲り」。実に城下町らしくカクカクと旧道は曲がってくのですが、その数が半端ない(笑)。ホントに27回曲がるかどうか確認はしてませんが、印象としてはそのぐらいあってもおかしくない。
歩いてるとそのカクカクが、現在の繁華街と住宅街の境目になっているように感じて、それこそが歴史なんだろうな、なんて柄にもない感想を覚えたり(^^;
これまで東海道では駿府城、浜松城と家康公ゆかりのお城に寄り道してきました。生誕の地でもある岡崎城に寄らないわけにはいきませんよね。ということで街道をはずれ場内へ。
くしくも桜まつりを開催中で、まだ五分咲きにもかかわらず多くの人が花見という名の宴会を楽しんでました(^^;
岡崎宿のカクカクと岡崎城の写真もインスタへ→コチラ
そして旧道に戻ったところがちょうど愛知環状鉄道(中岡崎駅)と名鉄名古屋本線(岡崎公園駅)が交差しているところ。疲れも感じていたことだし、今日はここまでにしましょう。
ちなみに2つの駅は隣接してますが、つながってはいません!
今回の行程:吉田宿~御油宿~赤坂宿~藤川宿~岡崎宿。ランチは本宿の出口のところにあったコンビニでの補給。この手前10キロほど飲食店どころかコンビニの1軒もなくていろいろ難儀してしまった。今回は名鉄で岡崎から豊橋に戻って帰ったので、お土産はなし。