2025年12月3日水曜日

地図と拳。

小川哲「地図と拳」を読む。
小川作品は初めて。すごく読んでみたかった作家さんのひとり。

上下巻に分かれた分厚い文庫本を雑にカテゴライズするならば「大河ドラマ」。
日露戦争から満洲国、そして太平洋戦争までの50年。時代はどんどん移っていく。だけど過去の人が生きたことは次代の人々に影響を色濃く残す。換言すれば、誰も歴史から逃れられない。
読みながらそんなことを思う。


主な舞台は満州。
まだ何もなかった、つまり白地図だったその地に未来という名の「地図」を描く。
日本人の目線、ロシア側から見た視点、あるいは漢人――目線が違えば当然描きたい地図も違う。そうして戦争という名の「拳」で塗り替えられていく様が象徴的に語られていく。

読み始めは漢字が多くて、なかなか難儀した(お恥ずかし)。たとえば「松花江」という文字には「スンガリー」とフリガナが振られている。でも2回目に出てきたときにはフリガナがないので「しょうかこう」って読んじゃう。スンガリーと読んだほうが気分なんだけど、やっぱ読めないんだよね。孫悟空(そんごくう、ではなく、ソンウーコン)は読めるようになった(^^;
あと、それこそ地図の話ってことで地名の位置関係が頭の中で描けなくて、スマホで検索してみたり。

というわけで読書としてはなかなかスタートダッシュが重かった。
のだけど、序章を読み終わるころにはすっかりその世界に取り込まれてしまった。いい意味で先が思いやられる(苦笑)。

恐ろしいと最初に思ったのは1905年日露戦争の戦闘のシーンだ。
善もない。悪もない。大義もない。ましてや生がない。それでも前に出る「兵」という存在の、むしろ空虚とも思える存在が、背中を冷たくする。

『人類は古来、まだ見ぬ世界に何かがあると空想し、それを地図に記してきた』

時は移り、第二の主人公ともいえる明男が登場したところで、ふいに『怖いよ』という文字が記される。これが時代の流れなのか。あるいは何かのフラグか。

などと思ってたら下巻の頭に『地図と拳』という言葉がいよいよ登場する。あくまで抽象的な表現だと思ってたのだが、作中に登場することでにわかに現実味が出てくる。
あくまでも登場人物たちの未来を語る言葉ではあるので「現実味」という言葉が適切かどうかわからないが、歴史の事実は知っているだけに本当に怖さを感じた瞬間だった。

『精算されたはずの想いは、心の底に覆い隠されていただけ』

作中、「地図に描かれるもの」として「建築」が特に際立って描かれる。

「建築」とは何か。これもひとつのサブテーマだったのかな。
ラスト近くで明夫がそこにひとつ答えを見出す。地図を塗り替えることが破壊であるとするならば・・・(ネタバレ禁止)。

・・
・・・

たぶん、この作品は言い切ってしまえば「反戦」の物語。
幕間のような部分にこそ作者の思いがにじんでいるように思う。

地図を拡げたいという欲望にさえよらなければ。振り上げた拳を下ろすことができたなら。
おい、聞いてるか。かの国のトップに立つ人よ。

*  *  *

それにしても小川さんの博識さには驚く。特に「建築」に対する造詣の深さたるや。
巻末の参考文献が10ページ(!)にも及ぶことから、想像もできない勉強量であったこともうかがわれるが、それも含めての知識量だと思うし、そしてそのアウトプット力(わかりやすく書いてあるのよこれが)に恐れ入った。

なのに他の作品がぜんぜんテイストが違うという話なんだから、この人はとんでもないぞ。


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