2025年10月31日金曜日

翳りゆくひと。[123]


[123]

「また連絡するから、今日はいったんホームに戻ってね」
「どこに帰るのかしら。マンション?」
「いつものグッドライフの部屋だよ。車で送ってくれるから」

あっちゃんをグッドライブのスタッフさんに預けた直後、葬儀社の方が寝台を押しながら病室にやってきた。

「このたびはお悔み申し上げます」
「お世話になります」

マサさんを寝台に乗せる間、わたしは廊下で待つ。
左脚を曲げたままのマサさんを棺桶に移すのに少し難儀している様子もうかがえる。

「では出発したいと思います。息子さんは横にお乗りください」

看護師さん、スタッフさんが駐車場まで見送りに出てくれた。

「お世話になりました。よしだ先生にもよろしくお伝えください」

ワンボックス型の寝台車にスライドドアから乗り込んだ。横にはマサさんがいる。もちろん顔は見えないし、気配を感じることもない。そう思った瞬間に死という実感が押し寄せる。

車が上り坂にさしかかった。窓から広くなった空が見える。

「あ、虹だ」

雨上がりでもないのに、虹が出た。
ハンドルが切られるたびに見え隠れするその見事な半円を、わたしは一生懸命に目で追っていた。「虹が見えるよ」とマサさんに心の中で話しかけながら。

やがて寝台車は小さな葬儀場に到着した。車から降ろされたマサさんは、そのまま葬儀場に運び込まれ、そして祭壇の前に安置された。
なんとなくどこかの霊安室のようなところにいったん運ばれるものと思っていたわたしは、少しばかり戸惑っていた。

「今後の予定ですが、通夜が明日、そして明後日が葬儀と火葬になります。火葬の予約も入れてしまいますね」

葬儀社の社長さんが説明を始める。
わたしの暮らしているエリアでは、死亡日から数日後に通夜というケースが珍しくない。それこそ心の準備が、とも思うが、よく考えれば遠方から来ているわたしにとってはむしろ都合がいい。

「ところで心臓ペースメーカーは使われていましたか」
「ええ、入っています」

火葬する際にバッテリーが爆発してしまうそうで、ペースメーカーの有無については火葬前に告知しておかなければならないそうだ。言われればそうだとは思うが、家族が気づける、あるいは知っているような話ではないな。

「お父様は宗派は」
「浄土真宗です。信心深いほうではなかったですけれど」

非常に簡易な葬式として、出棺のときのみ読経してもらうという方法もあるそうだが、家族だけの小さな葬式にしても、それはさすがにミニマムに過ぎる。
ごくごく一般的に行われているように、通夜から読経してもらう形にしてもらった。

「費用ですが、いくつかパックになっていまして、最も安いもので○万円のものから用意しています」
「出席者もごくごく限られていますし、その一番安いものでお願いします」
「承知しました。それから、暑い季節でもありますので、追加でドライアイスを入れさせていただきたいと思いますのでその費用が追加になりますがよろしいですか」
「はい、それはもちろん」
「あとは追加費用で・・・」

心の中で「費用の説明がずるいな」と思う。パックの費用だけではそもそも収まるわけがないのだと知る。

「ところで不案内なので教えていただきたいのですが、お坊さんに対してのお布施は」
「封筒などはこちらで用意します。今回のように2日とも読経していただく場合は○万円で」

社長さんは「旧知のお坊さんなので安いんですよ」と言っているようだが、それもわからない。
わからないことだらけだ。これも社会勉強か。

「印鑑はお持ちですか。死亡診断書に押印して区役所に届けて、火葬許可が出ることになるのですが」
「今日は持っていません。明日こちらに来る妻に持ってくるように伝えます」
「わかりました。では明後日の朝、葬儀の前に当社が届けを出しますので」

遺影のこと、通夜のときの食事、葬儀の前の弁当、会葬御礼、決め事は多岐に及ぶ。
どのぐらいの時間打ち合わせをしただろうか。ようやくひととおりの内容が決定した。

「それでは明日改めて参ります。どうぞよろしくお願いいたします」

移動中に取ったホテルに入り、夕食を取りながら明日の予定を頭の中で再確認する。
もしこれが仕事なら、事前に資料を読み込んでそれから打ち合わせを行うレベルだと思う。このメモ書きだけで漏れなく滞りなく進められるのか。心配と混乱で頭がいっぱいだ。むしろ脳が正常に機能していないような感覚すらある。

そんな頭の隅で思ったのは、これは家族の一大イベントなのだなということ。

大切な思い出になるといいね、おじいちゃん。

122<[翳りゆくひと]>124


2025年10月30日木曜日

続・秋のわが家。

ある夜の帰り道、自宅に一番近い信号で青に変わるのを待ってたら、交差点の向こう側でぶんぶん手を振ってる人がいた。

「元気な若者だねぇ」

と思ったわけだけど・・・ん?

その人が手を振ってる方向には僕以外に誰もいない。暗い中、目をこらしてよーく見たら、なんだ、ウチの息子2号じゃん。


もし僕が息子という立場だったら見て見ぬふりして先に家に帰っちゃうかなぁ(苦笑)。
でも彼は僕を待っててくれた。曰く「道渡ってたら見かけたから」と。いい大人になってるはずの息子が、あんな大きなゼスチャーで。

そう思うと、なんだか言葉にならないや。

そこから家までの数分間、少しだけ会話をした時間も含め、これが幸せってやつなのかな、なんて思いながら。

「子育て終了」と呼ばれる瞬間まで、残りはあと5ヶ月。


2025年10月29日水曜日

さんぽニスト、旧東海道をゆく。其の十六

前回ゴールの宮宿から桑名宿の間は「七里の渡し」、つまり船で移動してたわけで、この区間をスキップしても一向にかまわないとは思ったんですが、さんぽニストとしては歩いた軌跡が途切れちゃうのも気持ちよくないし、中途半端にサボった風に見えるのも癪に障るし。

というわけで歩くことにしました。

Googleマップを見ると、この区間にも「旧東海道」と記されている道があるので、地図をめっちゃ拡大しつつそれらをプロットし、つなげて、自分なりのルートを作成しました。

ルートは決まったものの、大人の事情により、桑名宿から宮宿に向けて逆行することになりました(イベントがあるのかなんなのか、名古屋界隈のホテルがアホみたいに高くてね。なので桑名宿泊にしたのです)

まずは桑名宿の散策から。
桑名城跡から続く道に、料亭をはじめとした飲食店が並んでいるところがあります。バラエティと落ち着きが両立してて、店構えにそれぞれ風情があって・・・・いいなぁ(語彙消失)。
桑名宿の写真はインスタに上げてます→コチラ

そして桑名の渡し。ここから宮の渡しまで“七里”ぶんを歩きます。

伊勢大橋の西岸から

最初の「難所」(高所恐怖症的な難所ね^^;)は揖斐川と長良川を一気に渡る伊勢大橋です。
とにかく長い高い長い高い長い高い。橋の上のアーチが15個!(たぶん)も連なってます。
そんな立派な橋なのに、歩行者用通路は狭いし高いし、鉄板の路面は前日の雨でつるつる滑るし、よくよく見たら鉄骨は錆だらけだし。
実はすぐ下流に新しい橋の橋梁が工事中。ということは老朽化が激しいということでもあって、もうマジで怖い。恐怖のあまり上がりまくった心拍数が10数分間も続くとか、何の苦行なのよ(号泣)。

だいたい橋の途中に交差点があるとかどうなってんの(笑)。マジなのよ。信号のあるT字路になってるのよ。説明が難しい(^^;

クラクラしながらなんとかかんとか渡り切って、いったんコンビニに寄って休憩です。マジ疲れた。ふう。

と思ったら次の「難所」がすぐに現れます。今度は木曽川を渡る尾張大橋です。
とにかく長い高(以下同文)。アーチの数なんてもう数えたくない!
歩行者用通路は鉄板の上にシートが貼ってあるので滑りはしないもののうねうねしてるもんだから前だけを見て歩いてるとすぐにつまづいちゃうしでも転びたくないから下向くし、よーく見たらそのシートの下に穴開いてて川面が見えるし(泣)。マジ怖い。マジ辛い。がんばったよ俺。

尾張大橋の半ばが三重県と愛知県の県境。

愛知県弥富市に入って国道1号線を離れ、市役所のほうへ路地(?)に入ります。下調べしておいた「旧東海道」です。

新興住宅地っぽいところ、そして大豆畑(たぶん。Googleレンズに教えてもらった)と刈り取りを待つ田んぼが広がる田園地帯を東へ東へと進んでいきます。

あちこちから祭囃子が聞こえてきます。道の雰囲気ともよくマッチして、すごく気持ちがいい。耳から入ってくる情報ってとっても大事。イヤホンで聴く大好きな音楽よりも、町のざわめきのほうがさんぽには似合う。僕は本当にそう思っています。さんぽだって五感を使って歩きたいんです。突然脈絡もない曲が鼻歌で出てくることもあるし(笑)。

それにしても川が多い。長良川みたいな巨大な川はもうありませんが、そこそこ大きな川、小川、中ぐらいの川と、いったい何本の橋を渡ったでしょう。鉄橋でなければあまり怖くないぞ。地図ご参照のこと。
このエリアの水の豊かさ(あるいはリスク)をひしひしと感じます。尾張の原動力よね。

名古屋市に入り新川と庄内川を渡る橋のところで「東海通」(字面だけだと「東海道」と読み間違えちゃうけど「とうかい・どおり」です)に合流します。幅の広い幹線道路ですね。

だだっ広い名古屋競馬場跡地(工事してたけど何になるんだろ>調べろ俺)を右に見つつ、
東海橋という橋を渡り、地下鉄の東海通駅を過ぎると「千年」という交差点に到着です。
千年ってなんか知ってる気がするんだけど・・・そうだ、中原街道にあったんだった!

その交差点から大通りを離れ、新幹線のガードをくぐったらそこは堀川、つまり宮の渡しです。


前回同様に船着場の突端まで歩き、前回同様に自分に対してちょっと拍手を送って今日はここまで。ちゃんと歩行ルートが桑名までつながったよ!!


今回の行程:桑名宿~宮宿。途中でパンをほお張りつつランチは我慢。ゴール後に名古屋駅構内で味噌煮込みうどん。さらに新幹線ホームできしめんも一杯。桑名のお土産はなし。


[15 岡崎~宮]<[16 宮~桑名]>[NEXT]


2025年10月28日火曜日

秋のわが家。

わが家では盛大に家族の誕生日を祝うという習慣がなくて、誕生日前後の週末にみんなが揃うタイミングで一緒にケーキを食べる、その程度。

今年の息子1号の誕生日も「ケーキは来週末ね」という感じだったんだけど、今年はいろいろと思うところもあって、個人的にプレゼントを用意した。


誕生日ということではなくて、親として今年はひとつ区切りのようなものがついた気がしていて、その意味では「僕の記念品」という意味合いのほうが強いかもしれない。

・・・勝手ながら、だな(^^;

そんなプレゼントだけど、ちょっとだけでも喜んでくれてよかった。改めて誕生日、おめでとう。

(余談)
財布をプレゼントしたんだけども、もともと彼が使ってた長財布はお下がりで僕がもらった(笑)。さんきゅ。


2025年10月27日月曜日

閉塞。

説明するための言葉をいろいろ探したんだけど、やっぱり「閉塞」、かな。

8月から流れの中で得点が取れていないというのはもちろんのこと、特に攻撃面での閉塞感が加速しているように思えてならない。

もう少しいろいろできてたんじゃ?

何をどうすれば好転するかなんて僕には到底わからない。
CWCも含めた長いシーズンの最終盤、目標もなくなった今、疲労も含めたメンタル面がとても難しいとは思う。

でも。

△浦和 0-0 町田

ファン・サポーターに見せる「何か」を探して続けてほしいとは思うんだよね。できるできないの話ではなくて。


その意味において、この試合でゴール裏が選択した「声援を送らない」というのには一定の支持はしたいと思う。「ワカル」って感じかな。ありとあらゆる方法論をもって鼓舞し続けるのが彼らのスタイルだと思うから。
実際に(数は少なかったけど)いいプレーに対しては大きな拍手が出ていたし、沸き立つ瞬間もあったから、「応援していない」ということではないとも思うし。

ただ「浦和の応援を見たい」という来場者も一定数いたはずで、特に初めて埼スタに来た方には、試合内容も含めてかける言葉が見つからない。


2025年10月25日土曜日

開いたのは片目だけでした。

Game1、ようやく今シーズンの初勝利!

 2025-2026 B3 League #5 Game1
金沢 70-79 東京Z○

この試合は何といっても金本の復帰――というか今季初出場だね――に尽きると思う。
エースPGのいる・いないはここまでチームに対しての影響力が大きいのかと再認識させられた。

プレイの取捨選択みたいなことや緩急の作り方だったり、本人の得点への意識も含めて、その波及効果は絶大だった。見てるこちらには「安心感」が伝わってきた。

それにしては最終的な差がつかなかったな、という印象。相変わらず決め手には欠けているところもあるか。リバウンドがなぁ。


Game2。
開始わずか1分でその金本にアクシデント(ゴールの支柱のクッション、薄くない?)。
幸い大事には至らなかった(ように見える)けれど、彼が治療のためにコートを離れていた時間に失ってしまった得点差は激しく大きかった。

実際に戻ってきた後の時間帯はそこまでの差はついてないしね。

金沢 75-60 東京Z●

もちろんそこにすべての敗因があるわけではないとは思う。

もう少しスリーのアテンプト、増やしてほしいな。ボールムーブの問題もあるだろうし、シューターと呼ばれるような選手がいないこともあるんだろうけど。
もう少しフリースロー、がんばって入れてほしいな。
もう少しリバウンド、特にディフェンスリバウンドは確実に収めてほしいな。
もう少し、イージーなターンオーバー減らしてほしいな。

すべて個人的な好みでしかないんだけど。


2025年10月24日金曜日

ありす、宇宙までも。

久しぶりにマンガを大人買いしました。
売野機子「ありす、宇宙までも」(「ありす、どこまでも」と読みます)です。

大人買いと言っても既刊の4冊ですが。
マンガに限らず本はできるだけ物理的に買いたい派です。


何で知ったんだっけな。SNSの広告だったかな。マンガ大賞受賞という文言にも引っかかったのは確かだけど、部分的に読んだ内容にものすごく惹かれるものがあった・・・のだと思います。

主人公は宇宙飛行士、それもコマンダーを目指す女子中学生。ざっくり言えば「がんばれば夢は叶う」な話です。

ところがその生い立ちによって、スタートラインがものすごく後ろに引かれてしまっているという状況がまず難しい。それは大人側の問題でもあったりするので、身につまされると言うか何と言うか(^^;

でも夢は持てる。その過程もいい。

そしてスタートラインにすら立ててなかった主人公に対して、手を引き、道を示し、戦略を立て、大きな可能性を見せ続け、自信を持たせ続けるバディの存在。
つまり「バディもの」としての魅力もある。

「楽しさ」だとか「喜び」だとか、人が歩んでいく原動力のようなもの――おじさん、感動しちゃったよ(笑)。

・・・つづきが楽しみです。


2025年10月23日木曜日

翳りゆくひと。[122]


[122]

「お体、きれいにしますのでしばらく待合室のほうでお待ちいただけますか」

病室と同じフロアの待合室で、テーブルをはさんであっちゃんと向かい合って座る。
何を話したんだろう。「苦しまなくてよかったね」「もう歳も歳だったしね」「しかたないよね」そんな話を繰り返しただけだったような気がする。正直ほとんど記憶に残っていない。
わたし自身、いろいろと考えていたような気もするのだが、実際にはあまり頭が回っていなかったんだろうと思う。

途中、最後に着せるマサさんのパジャマをふたりで選んだ。いくつかの選択肢の中から指さしたのはふたりとも同じものだった。

「これがいいわね」「いちばんマサさんっぽい感じ」

しっかりと覚えてはいないのだが、最初に老健に入ったときに自宅から持ち込んだものだったように思う。薄い茶色のチェック柄。マサさんのイメージだ。

「そうだ、今のうちにりつさんに連絡しといたほうがいいね」

わたしが促すと、あっちゃんは実の妹であるりつさんに電話をかけた。話している内容はあまり正確ではないのだが、マサさんが亡くなったことだけ伝えれば今のところは十分。後からわたしが細かい情報は伝えればいい。
わたしはマサさんの弟であるヤスおじさんに。留守番電話に用件だけ残した。

「この椅子、腰が痛いわ」

突然あっちゃんが言い出す。
ずっと座りっぱなしだし、単純に疲れたんだろう。もしかしたら心の中が体に痛みとして出てきたということもあるのかもしれない。

「たいへんお待たせをいたしました。お部屋のほうに」

ちょうどそのとき看護師さんから声がかかった。
病室に戻ると、きれいなパジャマに着替えたマサさんが、そこに、いた。
髪は整えられ、伸び始めていた髭も剃ってあり、顔にはごくごく薄く、美しく化粧が施されている。血色がいいと言ってしまいそうになるほどに。
ただでさえ寝ているようだったマサさんが、本当に起きてきそうな顔色になっていた。
でも、体は固まったままで、そして冷たい。

「マサさん、きれいにしてもらってよかったね」
「そうね、お化粧もしてくれたのかしら」

そう言うと、あっちゃんはまたマサさんの傍らのスツールに座り込んだ。背中が丸い。

わたしはそっと病室を抜けると、病院から紹介してもらった葬儀社に電話を入れ、状況を説明した。マサさんのお迎えは17時半に来てくれることになった。
同じ時間にあっちゃんを迎えに来てもらうようグッドライフにもお願いした。今日はあっちゃんには戻ってもらうよりほかはない。

看護師さんからは死亡診断書が渡された。

「こちらは葬儀社の方に渡していただくことになります」
「わかりました」

故人を見送るとき、家族は悲しんでいる暇がないほど忙しい、などという話をよく聞く。
わたしもそういう立場になった。ひとりでやるんだから、しっかりやろう。

121<[翳りゆくひと]>123


2025年10月21日火曜日

インプット過多。

楽しいことがいっぱいあって、大切な思い出だからしっかり覚えておきたくて、そのためには文章に残しておきたいって思ってて。

いっぱいすぎちゃってさ、すぐには書けないっていうか、あれも書きたいこれも書きたいでぜんぜんまとまんないっていうか。

これまでインプットが足りなくてアウトプットすることがないようなことは多々あったんだけど、インプットが多すぎてアウトプットどうしましょ、みたいなことはあまりなかった。

まあ慌てずに少しずつやりますわね。


何より時間が足りてない(汗)。


2025年10月20日月曜日

さんぽニスト、旧東海道をゆく。其の十五

朝からいやな予感はしてたんですよね。前日まではくもりの予報だったのに、起きたら雨予報になってて。
案の定、スタートしたらさっそく霧雨が。まあ帽子をかぶってれば我慢できる程度だったんだけど・・・・。


前回ゴールの岡崎宿、八丁味噌の味噌蔵が集まるエリアからスタートです。
国道1号線を縫うように、北西に向かってまっしぐら!であります。

岡崎市を出ると安城市に。
毎度毎度おんなじことを書いてる気がしますが、とにかくクルマ車くるま。一軒家に2台3台はあたりまえ。加えて月極駐車場も満車だもの、人の数<車の数なんじゃないの?

そんな中で国道1号線を何度か渡ることになるんですが、歩行者用の地下道が意外に多い。
歩道橋よりは階段短いのでラク(高所恐怖症的には高いところを通らなくてすむのはうれしい)なんですけど、これも車文化の一端なのかな。この日だけでたぶん4回地下道通った。

そして何度目かの地下道から出たところが池鯉鮒宿の入口です。
池鯉鮒と書いて「ちりゅう」と読みます。現在の地名は知立です。
文字どおり「ちりふ」というフリガナが振られている看板もありましたが、「ちりふ」→「ちりぅ」→「ちりゅー」→「ちりゅう」って感じなのかしらね。その変化には少し無理があるようなないような(笑)。ちなみに入力するときは「いけ・こい・ふな」と打ってます(^^;
余談ですが、名鉄線で移動しているとき聞いた車内アナウンス、知立駅を言うときのイントネーションが「venue」の言い方でした。「issue」のほうだと思ってたのでかなり違和感あったんですが、地元ではどうなんでしょうね。誰か教えて
池鯉鮒宿の写真はインスタに上げてます→コチラ

【どうでもいいエピソード】
恋の季節なのでしょうか、電線の上の小鳥(名前はわかりません)の近くに、別の個体が飛んできて、それはそれは美しい鳴き声を出し始めました。求愛なのかな。そんなことを思っていると、もとからいた小鳥はパタパタとどこかに飛んで行ってしまいました。鳴いてたほうの小鳥が一羽電線に取り残されたのです。その鳴き声が泣き声に変わったような気がしました。どんまい。【エピソードここまで】

国道1号線を縫うように進むのは旧東海道だけでなく、名鉄名古屋本線も。
寡聞にして存じ上げなかったのですが、「前後」という名の駅がありまして。
なんだろう。どういう意味合いでこの地名がついたんだろう。考えても考えて自分を納得させられるような答えは見つかりませんでした。誰か教えて(2回目)。

その先に有松という地域があります。ここは「有松絞り」という伝統的な染め物が有名な場所です(有松絞りについては→コチラの説明に丸投げ)。突然観光客がたくさんいて驚いたり(^^;
宿場ではない――実質的には次の鳴海宿と一体と言ってもいいような気がします――のですが、古い建物の保存だけでなく、積極的に利活用していました。
もちろん有松絞りのお店や工房もたくさんあるんですが、古民家カフェはもちろんのこと、デイサービスの施設として利用されているのにはちょっと驚きましたね。
ちなみに広重も有松絞りの店を描いています。

有松を出て鳴海宿に到着したころ、いったんは上がっていた雨がまた降り始めました。今度は「大量の霧雨」って感じのやつです。
さすがに帽子だけではどうにもならず、デイパックから念のためにと入れておいたレインポンチョを取り出しました。
このポンチョ、Can☆Doで買った100円のやつなんだけど、実に優れモノでした。通常時はマッチ箱サイズ(マッチ箱って最近見ないよね)で、取り出したらデイパックごとかぶれるサイズ。薄いビニールだけど頼りなさは感じません。ただし使い捨てになっちゃうので買い足さないと。
有松と鳴海宿の写真はインスタに。雨のせいで特に鳴海の写真が少ないのです→コチラ

強まる雨脚のせいで少しばかり急ぎ足です。ポンチョだけだと顔はびちゃびちゃだし(泣)。

大きなビルが目立つようになってきました。越えていく道路の横幅はやたらに広く片側5車線もあります。そう、だんだん名古屋市の中心街が近づいてきています。

東海道本線の踏切を渡るとそこが宮宿です。住所表記は伝馬町。

宿場町を通り抜け、道標を目印に左折し、歩道橋を渡ってひつまぶしで有名な「あつた蓬莱軒本店」の脇を進み(午後の中途半端な時間なのに2時間半待ちって出てた驚)、そして堀川に突き当たったところにあるのが宮の渡し公園、そして七里の渡しの船着場跡。
宮宿と宮の渡しの写真はインスタで→コチラ


旧東海道はここから次の桑名宿まで「七里の渡し」、つまり船で移動してました。
歩ける道はここまで(もちろん迂回ルートはあったそうですが)。
船着場跡の突端まで来たところで、思わず拍手をしてしまいました。よくここまで来たな俺、と。ゴールではもちろんないのですが、達成感はバリバリです。

さて、ここまで無事にたどり着いたことを熱田神宮にご報告と御礼申し上げて、今日はここまでにしましょう。シューズもだいぶ濡れちゃったしね。

あ、宮宿の「宮」は熱田神宮のことだそうですよ。


今回の行程:岡崎宿~池鯉鮒宿~鳴海宿~宮宿。ランチは豊明市内のロードサイドのファストフード店が集まってるところから牛丼屋をセレクト。ほかが混んでてな(KFCが食べたかった)。お土産は熱田神宮名物と言われる「きよめ餅」。




2025年10月18日土曜日

点が取れませんです。

2Qにだいぶ詰め寄ったと思ったら、3Qの10分間で4点っすよ。
次の5分間は1点。

●東京Z 50-82 埼玉

点取りゲームで点が取れなきゃそりゃキツい。
こういう結果にもなるわさ。


やっぱり1番(PG)がいないと得点に至る道筋が見えない。藤原は大丈夫だろうか。つ鶴
1番(ジェレミー)が取れないときの方法がまだあまり見えない。

1番、大事。

・・・Game2、がんばって。


ノーコメント。

相手とはモチベーションがぜんぜん違うのはあるにしても、浦和レッズがこんなに何もない試合をしてしまうとは。

もはや何かをコメントする気にもならない。ホントに現地のみなさんにかける言葉がない。


もし僕が現場にいたら、HTでスタジアムを出てたかもしれない。


2025年10月17日金曜日

翳りゆくひと。[121]


[121]

「402号室です」

看護師さんの言葉に促されるように入院病棟に入ったわたしは、軽くノックをして病室の扉をスライドさせた。

2人部屋の奥のベッドの脇に座るあっちゃんの背中が見える。横にいるのはグッドライフのスタッフの方か。

「付き添い、ありがとうございました」
「いえ、それではこれでいったん失礼させていただきます。ご連絡いただければお母様のお迎えに参りますので」

スタッフさんが部屋を出るのを見送り、改めてベッドに横たわるマサさんの顔を見る。

「穏やかな表情だね。苦しまなかったのかな」

マサさんの顔を見つめ続けているあっちゃんに静かに話しかけた。

「そうね、ついさっきまで目を開けてキョロキョロとしてたんだけど」
「苦しまなかったんだったら何よりだよ」
「まだ手は暖かい・・・・もう冷たくなってるわ」

本当にマサさんは眠っているようだった。4月の面会のときと比べても、よほど穏やかな表情だった。
でも声を掛けても、身体に触れても、少し口を開けたままのその顔が反応することは、ない。

マサさんの周辺だけ、音が消え、時間が止まったような、そんな空間だった。

穏やかな表情の理由が、長い期間に及んだベッドの上だけの生活からようやく解放されたということなら、それはそれで悪い話じゃないのか。

往診に出ていたという院長が病室に入ってきた。
マサさんの傍らに立ち、看護師からペンライトを受け取ると瞳孔の動きを確認し、そして口を開いた。

「15時38分です」

事実として息を引き取るその瞬間には間に合わなかったが、死亡確定時刻には立ち会うことができた。それで十分だ。わたしはそう思った。

「お歳でしたのでね、ペースメーカーの動きにも心臓そのものが反応しなくなって、静かに心臓が停止した、そういうことです。直接の死因としては心不全になります」
「ありがとうございました」

あっちゃんとわたしは院長に対して深く頭を下げた。

「こういうのは順番だししょうがないね。年齢も年齢だし」
「マサさん、いくつだったかしら。はちじゅう・・・」
「91歳だよ」
「あら、もうそんなだったかしら」

何か取り乱すようなこともなく、あっちゃんはいつものあっちゃんだった。

120<[翳りゆくひと]>122


2025年10月16日木曜日

反省すること、しないこと。

またやってしまった。

気がついたらもう止められなかった。声を荒げて怒りまくってた。
相変わらず気が短くて嫌になる。

怒った本人は数分後には通常モードに戻ってるんだが、言われたほうはたまらんだろうな。
なので大きな声を出してしまったことは本当に申し訳ないと思っている。


が、怒った原因については絶対に謝らない。

そもそものこちらの主張、答弁について「一定の理解」示し、「納得した」と言っていたではないか。それを蒸し返し、しかもまったく「理解」も「納得」もしていないということが露呈されたからじゃないか。

嘘をつかれるのは本当に嫌だ。

表面的に同調したふりをされたのが本当に腹が立つ。

こちらが怒りまくっていると、「謝るから」と言う。違う。
こちらの主張を今一度咀嚼し、理解するよう求めている。謝罪なんかよりそちらが大事だ。

こうして文句を言い続ける僕個人のことを嫌いになるのはまったく構わない。
だが、人の説明を求めて発言させた経緯があったにもかかわらず、それを理解する努力もせずに、さらに僕の周囲の人々のことを貶めるような発言をしたことは、絶対に許さない。


2025年10月15日水曜日

新しい歴史のフェーズに。

久しぶりにサッカー日本代表の話を書きます。

書くのは久しぶりですが(いつ以来かすらわからん)、試合があればもちろん見てましたし、われらが日本の代表チームですから応援もしてます。
まあワールドカップに出るのがイージーになってしまったので本大会まではなかなか盛り上がらないという面も正直あるのですが、何より、ことフットボールにおいて「浦和至上主義」なので所属選手がまるで招集されてない――Jリーグから選ばれること自体がかなり厳しい――ので応援の熱量があまり上がらないのもまた正直なところ。
遠藤、彩艶、橋岡あたりの「元」はやはり贔屓目に応援してますが、ずいぶん遠くに行っちゃったなという印象もまたあったりして。


で、その代表がブラジルに勝ちました!!(@_@)

○Japan 3-2 Brazil

国際Aマッチでのブラジル戦初勝利!
3得点!
2点ビハインドからの大逆転!!

すべてが「初」。ブラジル目線で言うと「東京の屈辱」とでも呼ばれそうな衝撃。

「公式戦じゃないし」なんて卑下する必要はない。だってそもそも親善試合でも勝ててなかったんだし。
「奇跡」と呼ぶ必要もない。後半は普通に圧力かけて普通にゴールして普通に逆転勝ちという内容だったんだもん。
カタールでドイツスペインを倒したときと同じような展開でもありましたな。やられてから強くなる少年ジャンプのヒーローかい。

新しい歴史のフェーズに進むことができました。それは喜ばしい。いやマジで。
でも本当に「史上最強の日本代表」かどうかは、ワールドカップの結果をもって判断したいと思います。

過度の期待はご法度よ。

  • 試合を重ねるごとに鈴木淳之介のインパクトが強くなってる。伸びしろヤバイ。
  • 鎌田は替えがきかない選手になってきたな。
  • 佐野「回収」はフルタイムか。信頼度がうかがわれる。
  • 上田綺世はそろそろビッグクラブからお声がかかりそうね。
  • 南野がキャプテンマーク・・・・(遠い目)。あの「うっさいんじゃボケ!」とか言ってた選手が・・・。
  • 橋岡はテレビカメラに映りやすいポジションをキープ。ある意味森脇芸。


2025年10月14日火曜日

さんぽニスト、大屋根リングをゆく。

EXPO2025大阪・関西万博が閉幕した。

会期終了が近づくにつれ、何かこう切迫するような気持ちが湧いてきて、居ても立ってもいられず“駆け込み万博”を体験してきた。
入場チケットを押さえた直後にSOLD OUTになったので、運が良かったというほかはない。

東ゲート側から。ここが一番高い屋根になる。

個人的な最大の目的は「大屋根リング」そのもの。
日程としては半日しかいられないこともあって、大混雑が予想されるそれぞれのパビリオンを見て回るというのはなかなか現実的ではないと思っていた。

僕は建造物を見るということが案外好きだったりもするし、そこを見て、しかも「歩ける」というのはさんぽを趣味とする人間にとっては十分な「目的地」になりうる。


入口ゲートを入って外側から眺め、真下に入って上を見つめ、何度も何度も階段を上り下りしながら、「屋根の上」の道を上段・下段ともにぐるぐると何周か歩いた。もちろん「屋根の下」も周回した。

とにかく歩きまくった。

高いところから噴水を眺め、動くミャクミャクに手を振り、流れる音楽ライブを味わった。そして一番見たかった、反対側のリングの先の瀬戸内海に沈む夕陽も。
夕陽の写真と動画、インスタにも上げてます→こちら

堪能したな。本当に楽しかった。

こうした「祭」は参加してナンボなのだと思う。
僕だけじゃない。万博の意義そのものは別のところにあるのかもしれないけれど、会場にいる多くの人たちが笑顔でいることが、大規模イベントのひとつの大きな役割なのだと改めて感じた。

水平線の近くだけが雲が切れてて

大屋根リング、一部は会期後も残されるのだという。
木製だけに維持管理が大変だとは思うが、ありがたい話だ。

EXPO'70の象徴だった太陽の塔が、今も人々の記憶と思い出に残っているように――僕の記憶にもしっかり残っている――大屋根リングがEXPO2025のレガシーになりますように。

・・
・・・

万博の話はまた追加で記事を書くかもしれないです。

(2025/11/05追記)
「こぼれ話」を書きました→こちら


2025年10月12日日曜日

翳りゆくひと。[120]


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週明けの月曜、マサさんの退院・看取りについて明後日の16日に病院側と打ち合わせをするとグッドライフのマツイさんから連絡がある。

病院よりも自分の部屋に戻れたほうがマサさんにとって幸せなのではないだろうか。そこがまだまだ住み慣れない場所であったにしても。
それもこちらのエゴでしかないのだけれど。

『病院の方の話では、何があってもおかしくはないけれど、今は呼吸が浅くなっているなどの状態ではないそうです』

先週末の状態よりも少しいいのかな。そう思った矢先だった。

2025年7月15日火曜日、午前10時。
マナーモードを解除していたわたしのスマートフォンが大きな着信音を立てる。

『お父様ですが、先ほどから呼吸も浅く、血圧も下がっている状態です』
「それはつまり、その、いわゆる危篤ということでしょうか」
『はい、そのとおりです』
「わかりました。母のいる施設のほうに連絡し、できるだけ早く母を行かせたいと思います。わたし自身も何時になるかわかりませんがすぐに向かうようにします」

仕事は基本的には前の週のうちにすべて段取りしておいたから急に休んでも問題ないはずだ。念のため仕事用のPCをバッグに放り込んでオフィスから早退した。

オフィスを出たところでグッドライフに連絡、すぐにあっちゃんをよしだ内科まで送ってもらうよう依頼をし、家族のグループチャットにも状況を流した。

「厳しいかもしれない。これから帰って荷物持ってすぐに出発するから」

週末に準備しておいた荷物を持ち、空港に向かう。この時間ならタクシーより電車のほうが到着時刻が読める。
移動中にスマホから飛行機の予約を入れる。出発15分前に保安検査場を抜けられるかどうかギリギリだが、次の便を選ぶという選択は、ない。

空港の中を小走りに進む。幸か不幸か当該便は5分のディレイ。無事搭乗することができた。

いつもなら「着いたらあれをしてこれをして」と考える機内なのだが、今日ばかりは頭の中に靄がかかっているかのようで、わたしは何も考えられずにただ前の席の背もたれを見つめていた。

定刻より10分遅れで着陸。機内にアナウンスが流れる。

『これよりすべての電子機器をお使いになれます』

わたしはすぐに機内モードを解除した。特に着信履歴もなくひとつ息を吐く。
が、到着ゲートを抜けたまさにその瞬間、よしだ内科からの連絡が入る。

「はい、今ちょうど空港に到着したところです」
『今呼吸のほうが止まられました。先生が往診中なので確認はまだなのですが』
「承知しました。すぐにタクシーで向かいます」

タクシーの運転手さんに目的地を告げると、今度はグッドライフからの電話だ。

『お母様の付き添いのスタッフからの連絡で、お父様の状態が』
「はい。今よしだ内科の方からも連絡をいただきました。空港からタクシーで向かっているところです』
『承知いたしました。息子様から病院に到着されたら、うちのスタッフはいったん引き上げさせたいと思いますのでよろしくお願いします』
「わかりました。送迎ありがとうございました」

そんなやり取りを聞いていたであろうタクシーの運転手さんが心持ちアクセルを強く踏んだように感じたのは気のせいだろうか。

流れる車窓の景色を見るでもなく眺めながら、「早く早く」という気持ちと「もう急いでもしかたない」という気持ちがわたしはの中で順番に浮かんでは消えていた。

遠く離れて暮らすようになって、特にマサさんとあっちゃんが老いたなと実感するに至り、「死に目には会えない」ことはどこかで覚悟していたからかもしれない。

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2025年10月11日土曜日

翳りゆくひと。[119]


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2025年7月9日、マサさんが入院しているよしだ内科の看護師さんから電話がある。

『貧血がひどくて、3日間輸血を行いましたのでそのご報告で』
「ご連絡ありがとうございます。実際のところどういう状態なのでしょうか」
『先生に電話を代わりますね』

ついこの間病室を移ったという連絡をもらったばかりだった。そのときは症状の話はまるでなかったのだが。
電話は医師につながった。

『もしもし。お父様なんですけど、なかなか栄養が取れていなくて、そうすると血液も作れなくなってしまっているということです。年齢も年齢なので、いわゆる老衰ですね。そろそろ施設のほうに戻って看取り、ということも考えてみてもいいかと思います』
「わかりました。施設のほうとも相談してみます」

いよいよ、か。
だがこの時点ではわたしの中には切迫したように気持ちは生まれてはいない。
手続きがいろいろありそうだということと、早く老人ホームに戻れたらいいなと考えていた。

幸いにしてグッドライフでは終末期ケアもできると聞いている。
翌10日には相談員のマツイさんに医師との話を伝え、看取りという方向で病院側との調整を依頼した。最終的には病院と施設、そして家族との三者間での契約を締結することになるようだ。

そして11日金曜日。
仕事を終え帰宅途中のわたしのスマホに、よしだ内科からの着信がある。このごろは通常時はマナーモードの設定はしていない。こういう電話に確実に出たいからだ。

『お体のほうに栄養が入っていかないので、いつ何時急変してもおかしくないという状態です。おしっこも出ていないので厳しいです。それでご本人に会わせたいという方はいらっいますでしょうか』
「会わせたいというと母ぐらいなのですが、グッドライフ中央公園におりますのでちょっと調整は必要になると思います」

この時点では緊急ということではないようだが、それでも対応できることはしておかないとならない。
まずはグッドライフに連絡。だがすでにスタッフの方が夜間体制になっているので、あっちゃんを病院まで引率してくれる人手がないという。翌朝からの対応をお願いし電話を切った。

わたし自身は再びオフィスに戻って翌週の仕事、それも絶対に準備しておかないとならないであろう仕事を片付けることにした。
仕事は遠隔でもある程度はできるだろうが、突発的かつ長期の休暇を取らなければならない事態に備えるために。

翌土曜日、朝からグッドライフのスタッフさんの引率であっちゃんがマサさんのところに見舞いに行った。

『お母様を病院までお連れして、今日は2時間ほどベッドの横にいらっしゃいました。お母様の声に反応はされてましたけど、その反応は鈍いように思います』

スタッフさんからの報告は、看護師さんの言う「厳しいかも」という状況を裏付けするものだった。でもあっちゃんが久しぶりにマサさんの顔を見られたのは何よりだ。

わたし自身はこの日予定していた友人との約束もキャンセルさせてもらい、そして不謹慎かとは思ったが、喪服を用意し、そしていざというときに持って出たほうが良さそうなものをひとつにまとめたりの準備をしていた。

何かしていたほうが気が紛れる。
そしてその週末はこれ以上の連絡が入ることもなく、静かに過ぎていった。

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2025年10月10日金曜日

翳りゆくひと。[118]


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夜遅く、わたしの自宅の固定電話にあっちゃんから電話がある。妻が応対してくれたのだが、『財布にお金がない』と言っていたそうだ。折り返させると言って切ったという。
その話を聞いたわたしは、その日あえて電話はしなかった。

約1年間、必要なものはスタッフにお願いすれば買ってもらえるということは理解しているはずだし、実際にそうやって好きな飲み物なんかを買っている。
おそらくは何かのスイッチが入ってしまって混乱し、そして電話してきたんだろうと思う。電話を折り返してそのことについて話せば、また違う記憶が植え付けられてしまうかもしれないし、何よりもひと晩明ければそのこと自体を忘れてしまうだろうという期待もあった。

案の定、その話はそれきりだった。
だが、お金の話はトラブルの元になるとも聞く。これ以上出てこないことを祈るばかりだ。

そのあっちゃんのマイナンバーカードについて、電子証明書の更新の案内が届く。
更新をしないという選択肢もないではないのだが、マサさんの確定申告の際に電子証明書用パスワードで苦労したということもあるし、やはり更新しておくに越したことはない。

案内を読むと、代理人でも手続きは簡単そうだし、現在の電子証明書用パスワードの情報はあっちゃん自らのメモが存在しているから、そこも問題なさそうだ。
わたしはグッドライフのスタッフの方と相談し、役所まで更新手続きに行っていただくようお願いし、必要書類を郵送した。

時を同じくしてわたし自身の電子証明書も更新したのだが、手続きにかかったのはほんの10分ほど。実に簡単だった。

ところが実際に更新手続きに行ったスタッフさんからの連絡によると、『証明書用パスワード、メモに書かれていたのと違うみたいで更新ができませんでした』と。

あのあっちゃん自筆のメモはいったい何だったのか。

結局パスワードのリセットと更新で2回、そして電子証明書の更新にさらに1回、スタッフさんに役所まで行っていただくことになってしまった。
恐縮至極とはこのことだ。

結果として4桁の暗証番号も、長いほうのパスワードも、ちゃんと把握ができた。良かったというほかはない。

「お忙しいのに、何度も何度も足を運んでいただいて、本当にありがとうございました」

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2025年10月8日水曜日

書くことを諦めない。

最近の自分のブログを読み返してみると、「こんなことがありました」というほぼ日記的な内容に終始しているなと思う。

以前はもう少し自分の考えとか感じていることなんかを「言語化する」みたいな内容――そうすることでアタマの中を整理できていた――もあったと思う。

今はあまりモノを考えてないとか、何かに心を動かされているようなことがないということでは決してないのだけれど、それを言葉にするまでの余裕がないのかな。

日常に追われていて、感情のタネのようなものは芽が出ないように蓋をしているような状態って言ってもいい。


ということに気づけたのが最高の「今日の気づき」。

また何かが動き出せばいいなと思うし、いつかは動くだろうから、焦らず気楽にそのタイミングを待とうと思う。

書くことは諦めない。


2025年10月7日火曜日

プロジェクト・タイタン。

今回今さらながらに見てみた映画は「プロジェクト・タイタン」です。
WOWOWで見たんですけど、もしかして日本未公開作品かしら?

資源を求めて土星の惑星タイタンに向かう宇宙船。木星軌道での“スリングショット”(=原題)で加速する計画で、それに向けて3人の乗組員は「人工冬眠」を繰り返す。この冬眠に入るための誘発剤には副作用がある。主人公ジョン(ケイシー・アフレック)もまた例外ではなく、めまいとともに地球に残してきた彼女の幻覚を見るようになってしまう。
この状況で無事にタイタンにたどり着けるのか、トラブルの発生した船体でスリングショットは可能なのか、地球に戻るべきなのではないのか――今この状況は本当に現実なのか。


てなお話で、既視感がないとは言えない内容ではあったんですが、「副作用」という要素によってもたらされた二重三重の罠――作中では「真実」ということなんでしょうが、視聴者を騙す「罠」だと思いました――にすっかりヤラれてしまいました!!

ジョンの決断が、まさかああいう結末になるとは。
ネタバレ的に書くと、ウルトラクイズで○か×かで×だったら泥の中に落ちるみたいな感じのすごく怖いやつ。

どきどきしたぜっ!!(=おもしろかった)


2025年10月6日月曜日

シンプルにゲームを進めていくこと。

10月になりました。気分も新たに行きましょう!
何せ9月のリーグ戦、得点ゼロだったからね・・・・。


イサーク(あるいは小森)が出ていればある程度長いボールを使ってもチャンスが広がる形は作れるので、GKを含めたDF陣は無理目のビルドアップに苦慮することなく蹴ることができる。
そのロングボールを蹴る初先発・根本のキックの精度!!ここまでできるのかというポジティブなサプライズ。

ロングボールを使うよということがチームとしてコンセンサスが取れていれば3列目のセカンドボールへの対応も良くなる。アタッカー陣が前を向く機会が増える。

シンプルな戦い方で、好循環が突如始まってしまったわ~。
いや、本当は「臨機応変」にいろいろできるのがいいに決まってるのよ。相手もあることだし(^^;

○浦和 1-0 神戸

セットプレーでもぎ取った虎の子の1点を守り切ったわけだけど、こと「守る」ということになれば、ディフェンダーに他の負荷(攻撃面ね)がかかってない状況のほうがパワーが残ってる、みたいなことはあるんじゃないかなぁ。

西川もシュートを止めるということにフォーカスしてくれればまだまだ「さすが」のプレーを見せてくれるし。

・・
・・・

安居の最初のミドルがポストに当たってGKに当たって「入らない」そのとき、「ああ今日もまたゴールが遠いのか」と思ったぞ。

オギのハンドのシーン、いわゆる「体からの反射」だと思うんす。VARとのやり取り、その有無を含めてちょっと、いや、かなり気になる。

マリウス、左利きにもかかわらず意外に右CBのほうがやりやすそうに見えたのは気のせいかしらね?


2025年10月4日土曜日

成長の余地しかない。

「最後のB3リーグ」、ホーム開幕。定時ダッシュで向かいましたが。が。が・・・・。

●東京Z 68-81 湘南

「ジェレミー頼りの●ソバスケ」vs「ロス頼りのク●バスケ」(失礼)。となると1点ずつ離されていくわけで(涙)。

なんとか追いすがるものの「ここぞ」の決め手に欠けた。つーか、流れを自ら手放したかな。

この「決め手」ってやつが厄介で。
なかなかシュートの形にならない。だから入る確率が下がる、そんな感じ。
湘南のディフェンスが激しかったことを差し引いたにしてもね。

スリーポイントのアテンプトも「打った」よりも「打たされた」ように見えたんだ。

くしくも試合後の挨拶でケントさんが「若い選手が」という言葉を使った。ならば成長するしかないよね。それだけ。


  • 債務超過が解消というのはグッドニュース。
  • ティップオフ前のUmeさんの「Are You Ready?」の後の曲がかっこよかった。
  • ジェスががんばってるとなんかうれしい。
  • Game2、見られないかもしれない(泣)。


2025年10月3日金曜日

翳りゆくひと。[117]


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2025年6月3日、ミスタープロ野球、長嶋茂雄氏の訃報が流れる。そのとき思い出したのは、当然のように巨人ファンそして長嶋ファンでもあったマサさんのことであり、マサさんとのキャッチボールだった。たぶん最初は幼稚園のときだったと思う。場所は団地の脇の空き地だったか。

幼いわたしにとって、大きな体から放たれる剛速球は驚きと同時に憧れでもあった。
そしてわたしとスポーツをつないでくれた、あの時間こそがマサさんからの贈り物だった。

でもあの大きかったはずの体は、いつの間にか大きいと感じることもなくなり、いまややせ細って病院のベッドに横たわっている。しかもマサさんのほうが長嶋さんよりも年上で。

と、そこまで考えて、わたしは頭を振った。浮かんでくるバッドイメージを追い払うように。

病院を見舞ってから2ヶ月。その後、マサさんの状態が良くなったとか悪くなったとか、そういう話はまったくなかった。

そんな中、5月分の入院費の請求書が届く。

「あれ、また金額が大きくなってる」

先月金額が落ち着いてひと安心したばかりなのに。
明細を前月分と比較しながら1行1行確認していく。なるほど、これは電話してみる必要がありそうだ。

「お送りいただいた請求書についてお伺いしたいのですが、5月2日にまた個室に移っているという記載なのですが、それは間違いありませんか」
『ナースセンターに確認します』

事実ならば請求金額には妥当性はある。が、普通に考えてわたしが知らずに差額ベッドへ移るということはないはずだ。

『お待たせしました。5月2日に移られているのは間違いないそうです』
「そうですか。念のための確認なのですが、それは父の病状の関係でということなのでしょうか。お支払いをしないと言っているわけではないのですが、わたしがまったくそのことを知りませんでしたので」
『それではナースセンターにお電話を回しますので、少々お待ちください』

そして電話保留のまま5分ほど待たされた。さすがに途中で電話を切ってしまいたくもなったが、マサさんのことなんだから「ちゃんと解決しよう。口調がきつくならないように」と自分に言い聞かせながら待った。

おそらくは保留のまま、先方は対応について協議していたのだろう。
結論としては、マサさんの病状が悪化して個室に移ったというようなことではなく、他の患者さんとの兼ね合いで移ることになったと。ついては差額分の費用は請求しない、請求書は再発行する、次月分以降も同様に対応する、ということで言質が取れた。

「ありがとうございます。ところで昨今の父の状態、どんな具合でしょうか」
『そうですね、一進一退と言いますか、現在も誤嚥を繰り返していまして、常に吸引が必要だという状況は続いています。その影響もあって、今は熱も少し出ています』
「承知しました。引き続きよろしくお願いいたします」

時を同じくして届いた今年度の年金額の確定通知のデータをクラウドに入力しながら、わたしは思っていた。

入院からかれこれ5ヶ月になる。もう回復というのは望めないことなのだろうか。この年金の通知には2026年の予定額なんて項目もあるけれど、その未来はやってくるのだろうか、と。

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2025年10月2日木曜日

愛のメモリー。

今回今さらながらに見てみた映画は「愛のメモリー」です。1976年作品。もちろん松崎しげるは関係ないが、タイトルを見て「おっ」って思ったのは確か(^^;
ちなみに松崎しげるが「愛のメモリー」をリリースしたのが1977年。近い。

事件に巻き込まれて妻子を亡くした主人公マイケル。
そのときのトラウマを抱えたまま生きてきた16年後、マイケルはその妻とそっくりな女性と出会い、そしてまた事件が。

監督はかのブライアン・デ・パルマ。


サスペンスの上に置かれたラブストーリーかなぁと思いつつ見てたんだけど、より「犯罪の匂い」のほうが強くなりつつ、最終的にはスリラーなラブストーリーでした~みたいな展開だった。
意味不明ですね、すいません。

クライムサスペンスとして盛り上がってくると緊迫感もぐっと上がってくるんだけど(その手前の中盤は正直ものすごく眠かったです)、その真相が明らかになったとき、「んなわけあるかい。気が長すぎやん」と計画そのものに真実味がなくてがっかりもして。

さらにラブストーリー部分についても、かなり「ヘンタイ」寄りだったりもするので、決して気持ちよくはなかった。

じゃあダメ映画だったかと言うと、映像というのか演出というのか、なんだかこう引き込まれてしまったのよ。やたらにくるくる回るカメラワークとかね。

このデ・パルマが後に「ミッション・インポッシブル」を撮ることになるのだから世の中わかりません。


2025年10月1日水曜日

自宅トレーニング[シーズン3]#36

9月中旬に年イチの健康診断があって(まだ結果は届いていない)、検査のラストの問診でドクターに「まったく問題ないですね」と言われたせいで、残りの半月、ちょっと暴飲暴食をしてしまったような気がします。

・・・あまり記憶が定かではないのですが(汗)。中華の食べ放題に行ったのは覚えてる(笑)。

でもまあ、トレーニングのためにトレーニングしているわけではなくて、楽しく生きるためにトレーニングしているわけで、そういうことでもいいじゃないかと自分に甘々な私は思っています。


【2025年9月度】
加圧トレーニング:4回[自宅トレ通算268回]
寝起き素振り:19回
月間さんぽ歩数:約36万歩

計測
前月比:  体重-1.2kg 体脂肪率+0.4pts
前年同月比: 体重-1.3kg 体脂肪率-0.3pts
2013年7月比:体重-8.4kg 体脂肪率+4.1pts

血液検査
なし

先月のトレーニング→コチラ