2025年12月6日土曜日

ブログ更新お休みします。

数日間、新規の投稿が止まる可能性があります。

もしも、もしも楽しみにしてた方がいらっしゃったらごめんなさい。



2025年12月5日金曜日

翳りゆくひと。[128]


[128]

棺を乗せた寝台車の後部座席にあっちゃんを座らせ位牌を持たせた。わたしは遺影を持って助手席に座る。

「それでは出発いたします。住宅街ですのでホーンは鳴らしません。ご了承ください」

白い車は静かに出発した。
運転をしている方と少し会話をしたような気がするのだが、内容はまるで覚えていない。住宅街から郊外に向かって走る車窓をただ見つめていた、その記憶しかない。

15分ほど走っただろうか。車は市営の大きな火葬場に到着した。
まずはわたしと葬儀社の方が受付に向かい、死亡届の提出の際に受け取った火葬許可書と、火葬費用としての2万円を納める。受付を済ませてはじめてマサさんを車から降ろすことができる。その手順はなんとなく理解できるのだが。
むしろ驚いたのは火葬費用がキャッシュレスでもいいというところだった。

そこから先は言葉は悪いが、流れ作業である。

位牌を抱いたマサさんの入る棺が扉の向こうに押されていく。

「合掌をお願いいたします」

係員の方が扉を閉めた。遺族が火葬ボタンを押すという大仕事があるのかと思っていたが、ここではそのようなことはなかった。

「1時間半ほどかかりますので、皆様はこちらの待合ホールでお待ちください」

そのとき、あっちゃんがソファにへたり込んでしまった。いろいろと限界だったんだと思う。
少し横になってれば大丈夫だというので、冷房の効いた畳敷きの待合室を手配してそこで休んでもらうことにした。りつさんに付き添いをお願いした。

「煙突から煙が立ち上るのを見る、みたいなイメージあるけどさ、そういうところもないんだね」

館内の案内図を見たり、水分補給をしたりしながら、わたしたちも何をするでもなくただ待った。長い長い1時間半だった。

『・・・収骨室5番までおいでください』

館内アナウンスに促され、控室にいたあっちゃんを伴いつつマサさんのところに向かう。

「骨太だったんだね」

大腿骨や上腕骨はもちろん、あばら骨も元の状態が想像できる程度には形が残っている。あれは奥歯か。大したもんだな、昭和ヒトケタって。

係員の方の説明を聞き、骨を拾っていく。最初はあっちゃんとわたしがふたりで大腿骨を砕いて、箸を合わせるようにして骨壺に入れた。
下半身から上半身に、家族みんなで少しずつ。

まだかなりの量が残っているが、もう壺の容量がいっぱいになりそうだ。
あご、頭、そして最後にきれいに形の残っていた喉仏は、わたしが納めた。

「それでは以上になります。最後に合掌をお願いいたします」

終わったか。あっけないな。

「代表者の方は」
「はい」
「こちら、火葬証明書になります。埋葬時に必要になる重要な書類ですので、なくさないよう、骨箱の中に入れておくようにいたしますので」
「ありがとうございました」

きれいなカバーに包まれた骨箱を抱きかかえた。軽くなっちゃったな。

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2025年12月4日木曜日

くまのこと。それから。

一般的におもしろいかどうかわかりませんが自分の中でちょっとばかりおもしろいことがあって、よーしそれをブログに書くぞーって思ってパソコンを立ち上げている間にそもそものネタを忘れてしまっているおじさんです。こんばんは。
やっぱり立ち上がりの速いマシンがいいなぁ。ポメラ・・・。


ところで。

僕、アイコンに「くま」を使ってるんですよ。LINEスタンプも作ったし(買ってもらっても僕の儲けにはなりませんので。でも買って)
が昨今、びっくりするほど熊の話題が報道されています。もちろん僕個人とは何ら関係のない話ではあるものの、なんとなくモヤっとした感じになってしまいますね。
今の自分の気持ちとしては、「町に出てきたやつは駆除してください。でも僕のことは駆除しないでください」(←前田敦子の声で読んでねです(^^;
それにしても里山どころか住宅街に出没とか住宅に中に侵入とか、シンプルに怖いです。
怖いので、趣味の「さんぽ」も当面峠道や山間に入る道は避けようと思います。
それから 着ぐるみの くまモンの外皮もしばらくは封印しておくことにします(o´(エ)` o)

九州・熊本には熊はいないそうだが。

それから。

書くぞーって思ったものの、1つの記事にならなさそうな小ネタの中で、かろうじて覚えてたことを列挙します。・・・列挙って何(笑)。

夕方以降の新幹線は、駅を出るたびに新たな乗客が座った席から缶を開ける音が聞こえる。好き。

向かいから会話をしてる二人組が歩いてきて、さてどっちに避けようと考えてるうちにど真ん中を割ってしまう私。なんかごめん。特にカップルさん。

恥ずかしながらファッションの用語とか、なんか雰囲気で使ってることが多くて、そもそもの意味なんか考えたことがなかったんだけど、「裾がベルのように広がってるボトムスだからベルボトム!」と急に気づく。おお。いや、ホントかどうかも調べてないが。

最近指の第二関節の先のとこの毛が長い。
眉毛整えようと抜いたら、信じられないぐらい毛根がデカい。毛。

ハンドクリーム塗るとトイレに行きたくなる。手を洗ったら変に水を弾くし結局塗り直しだし。んもう。

若いころ(小さいころ)から見てると、すっかり大きくなっても「ちゃん付け」「くん付け」が抜けない。芦田愛菜ちゃん(なぜかフルネーム呼び)、石川遼くん(なぜかフルネーム呼び)とか。でもたまに違うパターンがあったりする。田中将大:「マー君」はいつの間にか「マーさん」に。久保建英:「久保くん」はいつの間にか「久保くんさん」。だから何。

(追記)
マイホームゲレンデの野沢温泉の町なかに熊出たってよ(((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


2025年12月3日水曜日

地図と拳。

小川哲「地図と拳」を読む。
小川作品は初めて。すごく読んでみたかった作家さんのひとり。

上下巻に分かれた分厚い文庫本を雑にカテゴライズするならば「大河ドラマ」。
日露戦争から満洲国、そして太平洋戦争までの50年。時代はどんどん移っていく。だけど過去の人が生きたことは次代の人々に影響を色濃く残す。換言すれば、誰も歴史から逃れられない。
読みながらそんなことを思う。


主な舞台は満州。
まだ何もなかった、つまり白地図だったその地に未来という名の「地図」を描く。
日本人の目線、ロシア側から見た視点、あるいは漢人――目線が違えば当然描きたい地図も違う。そうして戦争という名の「拳」で塗り替えられていく様が象徴的に語られていく。

読み始めは漢字が多くて、なかなか難儀した(お恥ずかし)。たとえば「松花江」という文字には「スンガリー」とフリガナが振られている。でも2回目に出てきたときにはフリガナがないので「しょうかこう」って読んじゃう。スンガリーと読んだほうが気分なんだけど、やっぱ読めないんだよね。孫悟空(そんごくう、ではなく、ソンウーコン)は読めるようになった(^^;
あと、それこそ地図の話ってことで地名の位置関係が頭の中で描けなくて、スマホで検索してみたり。

というわけで読書としてはなかなかスタートダッシュが重かった。
のだけど、序章を読み終わるころにはすっかりその世界に取り込まれてしまった。いい意味で先が思いやられる(苦笑)。

恐ろしいと最初に思ったのは1905年日露戦争の戦闘のシーンだ。
善もない。悪もない。大義もない。ましてや生がない。それでも前に出る「兵」という存在の、むしろ空虚とも思える存在が、背中を冷たくする。

『人類は古来、まだ見ぬ世界に何かがあると空想し、それを地図に記してきた』

時は移り、第二の主人公ともいえる明男が登場したところで、ふいに『怖いよ』という文字が記される。これが時代の流れなのか。あるいは何かのフラグか。

などと思ってたら下巻の頭に『地図と拳』という言葉がいよいよ登場する。あくまで抽象的な表現だと思ってたのだが、作中に登場することでにわかに現実味が出てくる。
あくまでも登場人物たちの未来を語る言葉ではあるので「現実味」という言葉が適切かどうかわからないが、歴史の事実は知っているだけに本当に怖さを感じた瞬間だった。

『精算されたはずの想いは、心の底に覆い隠されていただけ』

作中、「地図に描かれるもの」として「建築」が特に際立って描かれる。

「建築」とは何か。これもひとつのサブテーマだったのかな。
ラスト近くで明夫がそこにひとつ答えを見出す。地図を塗り替えることが破壊であるとするならば・・・(ネタバレ禁止)。

・・
・・・

たぶん、この作品は言い切ってしまえば「反戦」の物語。
幕間のような部分にこそ作者の思いがにじんでいるように思う。

地図を拡げたいという欲望にさえよらなければ。振り上げた拳を下ろすことができたなら。
おい、聞いてるか。かの国のトップに立つ人よ。

*  *  *

それにしても小川さんの博識さには驚く。特に「建築」に対する造詣の深さたるや。
巻末の参考文献が10ページ(!)にも及ぶことから、想像もできない勉強量であったこともうかがわれるが、それも含めての知識量だと思うし、そしてそのアウトプット力(わかりやすく書いてあるのよこれが)に恐れ入った。

なのに他の作品がぜんぜんテイストが違うという話なんだから、この人はとんでもないぞ。


2025年12月2日火曜日

自宅トレーニング[シーズン3]#38

10月の半ばから少し運動量が落ちてる気がするんですよね。

運動「量」ではないかもしれないな。その動いているときの「意識」とか「質」とかのほうかもしれない。


がんばったとしてもなかなか明確な結果には出ないものだけど、がんばらなかったときはあからさまに表面化するからなぁ。

がんばろうね。ちょっとの時間なんだからさ。

 【2025年11月度】
加圧トレーニング:4回[自宅トレ通算276回]
寝起き素振り:19回
月間さんぽ歩数:約32万歩

計測
前月比:  体重+0.3kg 体脂肪率-0.1pts
前年同月比: 体重+0.5kg 体脂肪率+0.5pts
2013年7月比:体重-7.2kg 体脂肪率+4.5pts

血液検査[29回目]
前回比:+0.2pts(目標まで-0.3pts)
2022年5月比:-3.3pts↓

先月のトレーニング→コチラ


2025年12月1日月曜日

久しぶりの得点と勝利。

試合が終わってサポーターの前に挨拶に行く選手、その映像を見ながら思う。
「浦和サポーターってツンデレやね」と。

応援したくてしかたなくて、でもチームのふがいなさに喝を入れたくて、だから揃っての応援を止めていた、そんな彼ら(気持ち的には自分含む、かな)はちゃんと大旗も用意してたし、いざとなればとんでもない声が出るし。

正直に言えば、前半が終わったとこで『相変わらずゴールに迫る形にはならない。閉塞感はいつもと変わらない。簡単に言えばつまらない』みたいな文章が頭の中を去来していた。

というわけで内容が劇的に良かったわけではない。
なのだけれど、得点、そして勝利という結果はサポーターを「デレ」にするに十分だったと思う。
浦和サポがさらにゴールを要求する「大脱走」から始めたのは「うんうんそうだよね」と思ったよ。

岡山 0-1 浦和○

その結果を出してくれたのが、実況をもって『浦和の未来』と言わしめた肥田野
永くサッカーを見てると、「あの最初のチャンスを決めたか否か」みたいなことが将来を左右してしまうようなことも知っている。サポーターとしての感情移入も含めて。
J1デビューの肥田野はその最初のチャンスを見事に決めてくれた。右のウイングらしい動きからのゴール。落ち着いてたよな。足が攣るまで走ってもいて。


単純に未来が明るいなんて思えるほど楽観的ではないけれど――いろいろ見てきたもん(半笑)――今季もあと1試合。引き続き浦和の未来は見てみたい。見ていたい。
攻撃の起点になり続けようとした根本、短い時間だったけど存在感を見せた早川も含めて。

ごめんね、でもスタジアムには行けないんだ(涙)。


2025年11月30日日曜日

いい勝ち方ってやつなのでは。

強かったね!
いやまあ「アスフレ無敵」なんて言うつもりはないけれど(ホントは言いたい)、ようやくチームとして「できることがちゃんとできるようになってきた」という印象を持った。

○東京Z 79-63 岡山

個人的なイメージの話なんだけど、昨シーズン良かったときのチームは、「守備ありき」だと思っていて、この試合については(実はGame1も前節の試合も見てないんですごめんなさい)相手の得点を60点台に押さえたことはもちろんのこと、試合展開の中で「ここぞ」の場面で厳しい守備からTOを奪って得点を重ねることができたというのが、「良かったとき」のイメージに近づいてきて、それはそれはうれしい勝利になった。

加えて、セットしたときのオフェンスにも進化が見られたようなようなような。
スクリーンのとことかね、上手に説明できるだけのスキルが欲しいわ(悲)。


それだけにしばらくは大田区総合行けない、それがつらい。


2025年11月28日金曜日

翳りゆくひと。[127]


[127]

「今日は暑いな」

わたしたちが泊まったホテルからグッドライフ中央公園までは徒歩圏内。だが日陰を選んであるかないとすぐに汗が吹き出しそうだ。
室内とタクシーばかりだったから、この2日間が暑かったかどうかの記憶もあいまいだ。外気を吸ったこと自体が久しぶりな気がする。

「おはようございます。母を迎えに参りました」
「今お連れしますのでお待ちください」

エレベーターのドアが開き、スタッフさんに連れられてあっちゃんが現れた。
心なしか疲れが残っているようにも見える。

「おはよ。ちゃんと休めた?」
「まあそうね」

前日同様にタクシー2台に分乗し、葬儀場に向かう。今日は渋滞もなくスムーズだ。

葬儀は午後からなので時間には少し余裕がある。葬儀社の方と段取りの確認をしていると、棺の中のマサさんを覗き込んでいたあっちゃんがこちらを振り返った。

「腰が痛いのよ」

通夜の席で長時間同じ姿勢を維持しなくてはならなかったこともあるのか、あるいは夕べしっかりと休めなかったであろうことも想像もできる。もちろん心労もあるだろう。

「湿布が欲しいわ」
「わかった、買ってくるからさ、控室で休んでて」

調べてみると徒歩数分のところにドラッグストアがある。急いで調達に向かう。喪主のコンディションも主催者側の重要なポイントだから。

「湿布買ってきたから、あっちゃんに貼ってあげて」

あっちゃんの対応は妻に任せた。こういうときに男は役に立たない。

「渋沢栄一の顔が下になるように入れるらしいぞ」

お布施の準備は息子に頼んだ。彼らならわからないことを調べるのも早い。
あとやり残したことはないか。
よし、このタイミングで昼食をとっておこう。頼んでおいた仕出し弁当に箸をつけた。

あっちゃんは斎場にやってきた妹のりつさんとテーブルを囲んでいる。座敷に座るよりも椅子のほうが楽みたいだ。

やがて到着されたお坊さんにも昼食を召し上がっていただいた。

「今日は初七日まで執り行わせていただきますので」
「どうぞよろしくお願いいたします」

葬儀は予定どおりに始まった。

正直に言えば、通夜と何も変わらない。
促されて焼香を行い、そして読経に耳を傾ける。目線の先にはマサさんの遺影がある。
ただそれだけの時間が流れていく。

『導師様、ご退場です』

わたしはひとつ息を吐いた。

「それでは最後のお別れになります。どうぞお花を」

言われるがまま、花を手に取って棺の中に入れようとマサさんの顔を見たその刹那、感情が一気に高ぶる。こみ上げてくるものがある。

葬儀が終わって少し気が緩んでしまっていたのだろうか、本当に最後だと思ったからだろうか、泣くなんて思ってもいなかった。

大好きだったお酒で唇を湿らせて、ちょっとしたおつまみと、旅路の途中で食べてもらうおやつも入れてあげた。
もう何年もお酒、飲んでなかったもんね。今日は飲んでもいいから。心の中でそう語りかけた。

また涙が出そうになった。

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2025年11月27日木曜日

【東京2025】続いていく思い。

東京2025デフリンピックが閉幕した。

閉会式はニュース映像程度しか見ることはできなかったけど、この12日間、めちゃくちゃ楽しませてくれた選手たちが、めちゃくちゃ楽しそうに盆踊り(?)を踊ってて、ほんとに良かったーーって思ったな。
閉会式っていつも同じこと、思うんだけどさ。『選手が楽しんでくれたならそれが一番』って(^^;

この大会が聴覚障碍者と社会にとって、どういうレガシーになるかはわからない。
ただ、スポーツという面において、世界との距離が把握できたという選手も多かったんじゃないかと思う。その思いこそがレガシーになるはずだ。そう信じて今後も応援していきたい。

加えて言うなら、デフスポーツの難しさも少しわかった気がしている。ほんの、ほんの少しだけど。
テニス会場で観戦しているとき、思い立って両耳を手で覆ってみた。音が完全に遮断されたわけではないのに、ラケットとボールの当たる音があいまいになって、たとえばそのショットが深いのか浅いのか判断がつきにくくなった。選手たちが視覚のみに頼っているのか、あるいは別の感覚も使っているのか、それはわからないが、実感できたその感触、それは僕の中で続いていく思いの根源になるんじゃないかと思っている。


くしくもこの日は『ミラノ・コルティナパラリンピック』開幕まで、あと100日!!
続いていくよ。

大会期間中、僕がXに投げたポストこちら


2025年11月26日水曜日

クリエイト、そして敬意。

『 すべては何もないところから始まった。』

某世界最大級のIT企業の最新の広告で流れる言葉だ。

クリエイティブって、根源的なところはそのとおりだと思うし、そうであってほしいし、そうあるべきだと思うけれど、実際のところ、多くは『誰かの何かがあったところから始めてる』んじゃない?と思ったりしている。

少なくとも、僕の作ってるものは全部そう。

誰かの何かがインスピレーションになって生まれるものがある。かっこよくいえば「インスパイヤ」か。
だからこそ、敬意は忘れてはいけないし、「俺だから、俺」みたいな謎な主張だけは絶対にしてはいなけないな、などと思うわけです。

その上で、デザイン、クリエイティブを楽しみたいと思っている。「個人で楽しむ範囲」で。
他人のクリエイティブをAIに流して生成するとかいう恐ろしい「自称デザイナー」が現れた。しかもそれの結果をSNSで「見せびらかす」という・・・。明文化された「規約」すら都合のいいように解釈するとか、冗談抜きで恐ろしい。

敬意さえ忘れなければ、変な問題は起きないのではないかな。
性善説にすぎるかもしれないけれど、そんなことを思ってる。

・・
・・・

いえね、このブログのアイコン(著者プロフィール画像)の「くま」ね、AIさんに投げてみたら秒でアレンジしてくれるわけよ。まあ自分のタッチではないとは僕自身は思うけれど、「そのほうがいいじゃん」みたいな声がたくさんたくさん聞こえてくるような気がしてね。さみしいやら背すじが寒くなるやら。僕が手を動かしてることってなんだろうって。

そうじゃない。かっこいいものを作りたいから手を動かしてるんじゃなくて、「自分が」何かを作りたいから手を動かしてるんだって、改めて思う日々なのです。先人への敬意も込めて。


(↑)「ぐっ」ってやってるくまのイラストを投げて、『このくまにバスケットをさせて。紺のユニフォームも着せて。背番号は144、丸メガネとあごひげは忘れずに』と言ってみただけ。10数秒で生成してきたGeminiさん
(微調整は数度してもらったけど)