[099]
8月、あっちゃんが誕生日を迎えた。
例によって妻がプレゼントを送ってくれていて、そのお礼の電話が妻のスマホにかかってきていた。
わたしはスピーカーから流れるその通話を横で聞いていた。
あっちゃんの言葉の端々からは周辺記憶が何も残っていないことがわかる。ただ口調そのものがはっきりしっかりしているだけのことだ。
だからどうした、ということでもない。
「悲しいなんて感情、出てこなくなったな」
などとぼんやりと思っていた。
わたし自身の夏季休暇も、こまごまとした手続きなどに追われることになる。
保険関係の確認や解約の最後の手続きや銀行での記帳など、平日にしかできないことをこなしていく。
銀行に行った際にはマサさんの保有するゴルフ会員権の次年度の会費も振り込んだ。結局紛失している会員権の再発行はおよそ1年後に行われるということで、それまでの会費が必要なのだった。
それにしてもなんという時間のかかり方だ。サラリーマンでもあるわたしの感覚ではありえない。
しかしこれもマサさんの大事な資産だ。時間がかかってもやるしかないのだ。改めて紛失届を記入してゴルフ場の担当者に送付した。
そして下旬。いよいよマンション売却の件が最終局面になる。
ナカジマ不動産からは次の所有者が決まったので売買契約のときの話のとおりに直接所有権をそちらに移す、という連絡がきた。
『予定どおり、26日に残金を送金いたします』
その26日、わたしは休暇を取得し、マサさんの通帳を握りしめてATMの前で待機していた。
想定よりもやや遅れたものの午前中には通帳に残額の数字が印字された。
わたしは指示されていたように司法書士に電話をかけた。
「ナカジマ不動産からの着金が先ほど確認ができました」
『ご連絡ありがとうございます。それでは登記の手続きを開始いたします。完了しましたらまたご報告させていただきます』
「よろしくお願いします」
ナカジマ不動産のイノマタさんにも。
「入金確認できました。いろいろとお骨折りいただきありがとうございました。先ほど司法書士の先生にも連絡を入れましたので」
『承知いたしました。こちらこそありがとうございました』
終わってしまえばなんとあっさりとしたものかと思う。
ただ、それがマサさんとあっちゃんの今後の生活の糧がわたしの手の中の通帳に確実に記されたということは事実として残る。
さらに言えば、あっちゃんが帰りたがる場所が本当になくなったんだということも。
0 件のコメント:
コメントを投稿