[089]
6月下旬の週末、のんびりと過ごそうとしていたわたしの元へあっちゃんからの電話が入った。今回は冒頭からお怒りのテンションが高い。
「もしもし?」
『もう家に帰るから。こんな場所に閉じ込めてどういうことよ』
「こんな場所って。一緒に見学してここに住もうってことにしたでしょ」
『知らないわよ、そんなこと。とにかく帰るから』
「マンションはもう売っちゃったよ。もう住めないんだよ」
『なんでそんな勝手なことをするのっ』
同じ話を繰り返すのはこちらも骨が折れる。だがしかたない。
「あのね、あっちゃんには要支援2っていう判定が出てるの。誰かの支援を受けないと暮らすのは難しいってことだから、だからスタッフさんのいるそこに引っ越すことにしたんじゃない」
『誰がそんなこと決めたのよ』
「ちゃんと判定する人が来たでしょ。国の制度だよ」
『ひとりでちゃんと暮らせてたわよ。こんなとこにいてテレビ見てるだけで気が狂いそうよ』
わたしの中で何かが弾けた気がした。
「わかったよ。じゃあ最初から全部言うよ。最初はおととしのお正月。電話代払ってなくて止められてて、それでそっちに行ったの、覚えてない?」
もう止まらなかった。お金の管理ができてなかったこと。介護判定を受けたこと。いろいろなものがなくなってしまってたこと。マサさんがデイサービスに通うようになったこと。そこで脳梗塞で倒れたこと。病院から老健に移ったこと。あっちゃんの生活が荒れてきてたこと。ゴミ屋敷化が進んでいたこと。相談してマンションを売ることにしたこと。そして、老人ホームへの入居決めたこと。
およそ1年半の出来事を、何かにぶつけるかのようにわたしは話し続けた。話し続けてしまった。怒りとともに。
さすがにあっちゃんも、自分が覚えていないんだということだけはわかってくれたようだ。
『そうなのね。わかったわ』
最初のテンションが嘘のように、小さな声でそう言って電話は切れた。
それこそこの1年半で、いやおそらくは人生で一番の大げんかだったと思う。怒りをぶちまけてしまったことに後悔もある。
だが、今の状況については「間違ってない」「ほかに方法はない」「ベストの対応はした」と、通話の切れたスマホの画面を見つめながらわたしは自分自身に言い聞かせていた。
はたして翌日、またあっちゃんからの電話。努めて冷静にとひとつ深呼吸をしてから通話ボタンをタップした。電話の向こうにいたのは、前日のことはまるでなかったかのようなあっちゃんだ。
『ここにあるバッグが壊れちゃったから、マンションまで取りに行こうと思うんだけど』
「紺色のバッグかな。もうマンションには戻れないから用意して送るから」
入居の日になぜか行方不明になっていたバッグだ。ブランドはわかってるから同じようなものを買うしかないな。
が、虫の知らせではないけれど、ふと気になってマンションからわたしの自宅に送ってまだ開封できてないダンボールの中身を総ざらいしてみたところ、なんと目的のバッグがそこに入ってるじゃないか。
どう考えてもダンボールに放り込んだのはあっちゃん自らの仕業で、なんでそうなっちゃたんだろうね、と妻とふたり苦笑いである。
バッグはすぐにグッドライフに向けて宅急便で発送した。
さらにその翌日の夜。寝室に入ったわたしは「今日は電話がなかった」とひとりごとをつぶやいていた。
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